トップ情報ケーブルNo.1 Conductorに関する情報>No.1 CONDUCTOR 観自在ケーブル

No.1 CONDUCTOR 観自在ケーブル

栫 道虎

“wire with gain”とは理想のアンプ像を語るときによく持ち出される言葉であるが、アンプがそうならケーブルはただの”wire”が理想となるのだろうか。
確かに、余計な色付けを排し、信号のみを劣化せずに伝えるのがケーブルの「使命」とされる。しかし、現実には色付けを排すという大義の元、音楽の表情を削ぎ落としてしまったり、逆に第2、第3のアンプの如く”gain”を持ち「増幅」してしまう「ハイエンド」ケーブルもある。

さて、この度、ローゼンクランツが発表した新しいスピーカーケーブルは見た目は確かにただの”wire”に近づいた。それは本当にただの”wire”なのか?禅問答のようだが”YES”とも”NO”ともとれる。

貝崎さんと息子の浄さんが、「オールマイティー型自動制御ケーブル」を打ち出した時は、細い金属線の集合体であるケーブルにそんなことができるのだろうかと半信半疑だったのは事実だ。

ところが、この親子は当初こそ「意あって力及ばず」(本人談)の状況であったが、徐々にその理想へと歩を進めてきた。そして、このNo.1 CONDUCTORでいきなり軽やかに跳躍し、今までにない高みへと着地したのである。


彼らが到達した地点とは何か? これは信号ではなく、情報をやりとりするケーブルである。当たり前のことを言うなと言われるだろうが、ここで言う情報とは単なる電気信号ではなく、音楽の知情意であり情緒をも含む「情報」である。それはまるでへその緒の如くアンプとスピーカーに通じているのである。

その音は一切の力みがなく、誇張がない。こう書くと味気ない蒸留水のような音を想像されるであろうが、さに非ず。真の意味での「上善如水」であり、器次第で円形、方形、球形と、すべての形に姿を変える。川の流れのように、上流ではさらさらと淀みなく、あるところでは滝のように激しく急降下し、途中蛇行を繰り返し、河口では悠々とその歩みを変え、最後に大海へ合する。まさに「自在」 なのである。

よって、私はこのケーブルを「観自在ケーブル」と名付けた。空海が達した融通無碍の境地である。善も悪も内包したその世界観、宇宙観がこの細いケーブルに込められている。

八百万の神が住み、万物に仏性が宿るとするこの大和の地に生を受けたわれわれは悠久の時を営々と積み重ねて来た。この音を聴いているとこの細い組紐がわれわれ日本人のDNA螺旋のようにも思えてくる。

日本文化の羊水、瀬戸内に生を受け、理想の音を求めて北海道から沖縄まで駆け巡ってきた氏の身体はこの列島の大地の精髄を吸収し、それを彼の理想とする音に結実させた。

No.1 Conductorはまさに「魂」の賜物なのだ。

← Back     Next →