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オールマイティー型自動制御ケーブル

前書き

「音のカラクリの総集編」「ハイエンドケーブルを総括」のところでは、主にスピーカーやソフトとの相性面に於いて検証しました。第二回目の今回は、一風変わったタイトルで、「オールマイティー型自動制御ケーブル」です。

ずばり!その核心は、「世界の音楽を完璧に鳴らすケーブルを作りたい!」という、私の遠大なる夢の実現を書き記したものです。オーディオの理想と言われている「Cable with Gain」の極意を掴んだと自負しています。その軽々と鳴らせるようになったアンプの変貌ぶりを言葉で表すと、「スピーカーの能率が10dBほど上がった!」に尽きます。

音楽は人生の喜怒哀楽そのものである!
歌ったり演奏するだけが音楽ではない!
生きている行為のすべてが音楽である!

このように悟るまでは、個々のオーディオ機器達に翻弄され、随分遠回りをして来ました。しかし、その縛りが解け、生命観を持って全体を見渡せるようになってからは、ステレオに開眼したが如く、アイディアが次から次へと湧いて来るのです。

奇想天外な閃きや発想は、過去の技術や常識を大切にする技術者には中々出来るものではありません。又、音楽再生芸術としてのオーディオには、科学という理屈の部分と理屈では語れない感情や感動の部分がありますが、とにかく結果が全ての真実を物語ります。その音に、有無を言わせぬだけの説得力と魅力があれば良いのです。

ローゼンクランツの「音のカラクリ」の解は、私の歩んで来た多岐に渡る人生経験の中から掴んだものであると同時に、私の魂そのものであります。私の心の中にある全てであるが故、「汚い音」も、「美しい音」も、「厳しい音」も、「楽しい音」も、又「悲しい音」も、「優しい音」もするのです。

ローゼンクランツの音作りを通して真理を追い求めて行くと、そこには過去日本民族が脈々と繋いで来た、万物を神として崇め、感謝する精神に辿り着いたという事を明かしたいと思います。

「日の出る国」とは何を意味した言葉だろう?と、己の胸に手を当て沈思黙考もしました。世界の希望(日の出)は日本から始まる事を意味します。万物に感謝する徳を身に付け、世界の人々に光を届ける使命を日本人は担っています。

その私はローゼンクランツ製品に魂を込めて、「生きる喜びをお届けしたい!」と思います。偶然にも書き終えた日が、8月15日(66回目の終戦記念日)であった事と、8月15日という日が生を授けてくれた私の父の誕生日であった事とが重なり、一層感慨深いものを憶えます。

今回は長文の為、目次を用意させて頂きました。気になる見出しのところだけを、読んで頂いても分かるようになっています。

カイザーサウンド
代表者 貝崎静雄 



「音のカラクリの総集編」
第二回目 オールマイティー型自動制御ケーブル

第1章 ケーブルとは一体何なのか?
1. ケーブルとは音楽の感動を伝える物
2. 「動特性」と「静特性」
3. 生演奏が町中に溢れていた時代
4. 腕を磨く事を忘れ、小手先の勝負に堕落
5. 原型を留めないほどに整形した音
6. 便利さの裏に隠れた何倍ものリスク
7. 広がる一方のバーチャルな世界
8. 本物と偽物の境界線
9. 自然、生命から学ぶ法則性

第2章 世界の音楽を完璧に鳴らすケーブル
1. 誰も気にも留めないところにこそ真の答えがある
2. 世界の音楽を完璧に鳴らすケーブルを作りたい
3. 「癖の無いケーブル」から、「沢山の癖を持たせる」へ

第3章 オールマイティー型自動制御ケーブル
1. 奇想天外なケーブルのその中身とは?
2. 真似ると、醜く卑しい音になる
3. デンジャラス且つ、九牛一毛なるメカニズ
4. 自然界の掟に従って設計したケーブル
5. 純粋なケーブルこそ固有の癖を持つ
6. ケーブルを極めずしてオーディオを語ることなかれ
7. ストレスに強いオリジナル素線導体を開発

第4章 ケーブル設計者達が掲げるテーマの違い
1. 目的と手段が逆になった設計思想
2. 高純度を命題としたケーブル設計の落とし穴
 @ ボトルネック現象が頻繁に起こる
 A 一部分が優秀過ぎては、全体の調和が取れない
3. 機器の能力を引き出す事を命題としたケーブルの落とし穴
 @ 頑張れば頑張るほど本質から離れる
4. 苦手なところは捨て、個性を貫くケーブル設計
5. 能力の劣る所に合わせ、ステレオの総合力を引き上げる

第5章 東洋的思想である陰陽のバランスに着目
1. 陰陽のバランスに立脚した音作り
2. 100点満点ではなく、0点満点であるべき

第6章 脳の深層部の本能的情動や感情を揺さぶる
1. 爬虫類脳、旧哺乳類脳、人間の脳
2. 本能的情動や感情を揺さぶるケーブル
3. 武士道精神の男根を去勢された日本人

第7章 超伝導リニアモーターカーの技術に着眼
1. 世界に誇る超伝導リニアモーターカーは500km/h
2. 磁石の力で浮かせ走らせる高度な電磁制御技術

第8章 ケーブル内で超伝導技術に似た状態を起し得ないか!?
1. 導体純度を上げるより、インピーダンス変動幅を減らす事が重要
2. 撹乱心理戦と力勝負の両面作戦(投球術)
 @ 音の良い長さの組み合わせパターンを色々変えてみる
 A 方向性の向きを色々なパターンに組み変えてみる
 B 撚りのピッチや、右捻り左捻りを適宜変えてみる
 C 複数本ある線をほどき、撚るパートナーを色々変えてみる
3. 何故にステレオに投球術の話なのか?
4. 怖いもの知らずの無法者を相手にする覚悟が必要

第9章 ステレオは計算不能な負荷物
1. 計算出来る負荷物と計算出来ない負荷物
2. ステレオの感動値が下がり始めたのはPCM出現時
3. 現代のステレオは単なる「高性能音発生機」
4. IQも偏差値も何の役にも立たない領域

第10章 逆相磁界によるインピーダンスの平滑化は「超伝導現象」?!
1. 逆相磁界による磁界のキャンセルは能率アップに繋がる
2. 逆相磁界がインバーター家電のノイズ除去に成功
3. 人間の健康を一番に考えて、取り組んだ電源ケーブル



「音のカラクリの総集編」
第二回目 オールマイティー型自動制御ケーブル


第1章 ケーブルとは一体何なのか?

1. ケーブルとは音楽の感動を伝える物

素材、太さ、長さ、形状、本数、方向性、捻り方、絶縁材、防振材等、オーディオケーブルを構成する要素には大体このような物があり、これらを様々なパターンで組み合わせる事によって用途に合った物が作られます。 

これまでのオーディオ業界のケーブル作りの主眼は、旧来の電気・物理的常識に則った「高性能化」であり、時間軸の一点を切り取った瞬間に於ける静特性の向上でした。しかしそれでは「良い音」を再生する事は出来ても、千変万化の如く動きのある「良い音楽」を再生する事は出来ません。 

本来私達がオーディオに求めるハイファイ(高忠実度)とは、「静特性」に優れた良い音ではなく、動きのある音楽を、その持てる生命の様相そのままに再現する「動特性」に優れた良い音楽にあるはずです。

2. 「動特性」と「静特性」

その「動特性」と「静特性」というのはケーブルだけの問題ではなく、ステレオを構成するありとあらゆる要素に於いて関係する一大テーマなのです。端的には、測定器で測った項目毎の性能を示すデーターを「静特性」と言い、芸術性とか感動といった測定器では測れないものを「動特性」と呼びます。ここではその両特性の因果関係について、色々な分野に話を広げながら、歴史を振り返る形で検証してみたいと思います。

文中には、「鶏が先か卵が先か」の部分はありますが、そもそもの話は、タイムマシンの如く過去の演奏の再現を録音という技術によって、聞きたい時に聞けるようになったのは、エジソンの円筒形レコードに始まるハード側(オーディオ業界)の功績から出発します。

3. 生演奏が町中に溢れていた時代

音楽と言えば生で演奏するものと相場が決まっていた時代。身の回りには生音が溢れ、生の音に囲まれた環境下で作られた、レコードの出初めの頃の音は実に生々しい音を聞かせてくれます。先ず音に力があります。ハートをぐっと鷲掴みにするエネルギーがあります。

モノラルからステレオに移行する50年代中頃から60年中頃がレコードの全盛期であります。音楽が三度の飯より好きと言う方達は、この時代の音楽を好んで聴きます。身体が欲しがる音なんですね。

中にはもっと遡ってSPを楽しむ方もおられますが、単なる懐古趣味ではなく本気で音に惚れ込んでいるのです。低音も高音もありませんが、その音には夢や生き甲斐みたいな、当時の人達の生命力が凝縮して入っているのです。リアリズムとな何か!? そこの部分だけは今の若い人達に是非体験して欲しいと強く思います。

4. 腕を磨く事を忘れ、小手先の勝負に堕落

ソフト製作サイドは、音楽という時間の流れと動きの中にのみ存在する、人間の感情や情動表現の聖域にデジタルというメスを入れ、音を切り貼りするようになりました。そして、少しずつその利便性という魔物の取り付かれ、音楽の遺伝子情報とも言える本質を変容させるようになり、それを機に音楽業界もオーディオ業界も大きく変わって行きました。

アナログ時代にはマイクセッティングの良し悪しが、録音に大きな影響を及ぼすと言われ、かつてはそのノウハウを身に付けようと、切磋琢磨して腕を磨いたものなのに、デジタル全盛と共に軽視されるようになり、『後からどうにでもなるんだから、やるだけ無駄だよ!』なんて言葉が横行していたという話を聞かされた事があります。

5. 原型を留めないほどに整形した音

「小さい音は小さく」、「弱い音は弱く」、「強い音は強く」、自然なままのダイナミックレンジで収録されるのが本来あるべき自然な姿です。しかしながら、デジタル技術の発達と共に、音を良くしたいとの思いが前のめりになり、「遠くの音を前に」、「小さい音は大きく」、「弱い音をも強く」とエスカレートし、全ての音像を最前列に並べてしまう全員主役みたいな嘘の音作りが、平気で行われているのが今のソフト業界の実態なのです。

本来、空気という媒質の中でしか生まれない、私達の慣れ親しんだ自然の響きや調和といったものはどこにもありません。原型を留めないほどの整形手術を音に施す事に、罪悪感を感じている様子を見受ける事は出来ません。一体どんな耳と感性をしているのか、頭の中を覗いてみたいものです。

6. 便利さの裏に隠れた何倍ものリスク

その弊害は腕の立つミュージシャンが育たなくなる方向へもシフトします。個別テイクが増えると共にセッションの機会は減り、譜面通りに演奏する事は出来ても間(ま)という『阿吽の呼吸』が身につかず、演奏技術レベルも見る見る落ちて行きます。お互いがバトルをするかのようなアドリブ演奏なんて夢また夢の世界です。

ただでさえ音楽ソフトが売れなくなったと言われている時なのに、これでは音楽を目指そうとする人達もリスナー人口も激減の一途を辿る事になるでしょう。音楽の質の低下は音楽離れを引き起こします。音楽業界、オーディオ業界の前途には暗雲が垂れ込めています。

「ディスクの音が悪い!」とソフト側に責任を迫ろうものなら、『デジタルイフェクターなる便利なツールを作り、売りつけたのはハード業界ではないか!』と言われたら、ハード製作側に反論する余地など全くありません。そしてそうなっても尚、音楽としてのソフトの質の低下をデジタル技術で補おうとしているのですから、ソフトとハード、どちらも泥沼のような負のスパイラル状態に陥ってしまっています。

7. 広がる一方のバーチャルな世界

バーチャル(仮想)な世界と現実は、一見して区別する事は出来ません。ですからバーチャルリアリティー(仮想現実)という言葉が生まれています。真実と虚構が入り混じった状態は、私達から真実を見極めるという、動物としての生存本能をも低下させてしまいます。

技術の進歩は、快適性、利便性が向上する反面、すべてがバーチャルなものとなり、命の奥から湧き出て来るようなリアリティーや豊かな感情表現といったものが失われてしまうのです。

8. 本物と偽物の境界線

皮肉な事に、そういったリアリティーのない、人工的に濾過された高精細度の音と不純物の少ない高純度銅は見事なマッチングを示します。音楽を作る側も聴く側もそんな人工的な音を高性能だと信じ込み、本物と偽物の区別もつかなくなっています。ですから本当に悲しい事ですが、製作者も良かれと信じ込んでやっているので、頑張るほどにおかしな音を作る事になるのです。

時代の流れと言ってしまえば、全てはその一言で終わりです。良くも悪くも、ハード、ソフト業界が歩調を合わせる形でやって来た訳ですが、後で感動という大きな財産を失うような事に繋がるなんて、その時点では誰も予測出来なかったのだろうと思います。

しかし、音楽を心底愛する感性豊かなごく少数の人達にとっては、今日のフェイクと化した音楽にいたたまれない気持ちで一杯です。新しいディスクに本物を望めない今、せめてもの願いとして、フルトベングラーやベーム等の巨匠によって残された数十年前の偉大なる芸術家達の名演奏、名録音のディスクを感動するような音で聴きたい!と、切なる訴えが私の元に強く届いています。

9. 自然、生命から学ぶ法則性

その「動特性」というものが、「エネルギーの加速と減速」の関係です。物が誕生する順番の戸籍簿管理や方向性の組み換え、捻りのピッチや左右の捻り方向をケーブル内で変化させたり・・・。それこそ"難行苦行"と思えるような数々の試みを繰り返し、エネルギーが最も自然に加速し、かつ減速する、「動特性」の優れたケーブルのあり方というものを模索して来ました。

そこで得た真に優れたケーブル作りのノウハウというのは、必ずしもオーディオ界の既存の常識と一致するものではありません。けれどもそれは、私達生命を育んでいる自然界のあり方と、より近似したものであるという事が明確に分かるようになって来ました。自然、生命というものは限りなく偉大です。

自然や生命が厳格な法則性の元で営みを続けているように、ケーブル作りの過程でその音の変化を追い求めて行くと、そこに再現性を伴った厳密な法則性を見つけ出す事が出来ます。

科学的常識にとらわれない一見突拍子もないような試みを繰り返し、そこから音楽表現の生命とも言える「動特性」の向上を追い求めて来たのですが、最終的にそこから「再現性や法則性」という科学的考察にたどり着き、それを製品作りの確かな尺度として行かなければなりません。狙い通りの音が作れるレベルにまで昇華する事です。それがカイザーサウンドの旨とする『知行合一』という開発姿勢です。


第2章 世界の音楽を完璧に鳴らすケーブル

1. 誰も気に留めないところにこそ真の答えがある

カイザーサウンドでは、"誰も気に留めないところにヒントがある!"、"真の答えが隠れているはず!"との睨みをつけ、'04年頃から解決に向けての糸口探しが始まりました。それは"ケーブルルネッサンス"と銘打った"RGBシリーズ"の製品化をスタートした時期と重なります。

草津市の平松敬司氏は、永久磁石の配置を変えたモーターを何台も連結する事により、磁力抵抗を解消出来る連式発電機の発明をされました。こんなコロンブスの卵的な話は枚挙に暇がなく、本当に価値のある物を導き出すヒントは何気ない身近なところにあるものです。

2. 世界の音楽を完璧に鳴らすケーブルを作りたい

"世界中のあらゆる音楽を完璧に鳴らし切るケーブル"を作る事が、私の長年の夢でした。教科書で習うような正攻法的思考で作ると、ある表現では優れた能力を発揮しても、対極する表現に於いてはどうしても偏りが出て来るという事実が分かって来ました。そんな行き詰まり感で輾転反側(てんてんはんそく)している時、半ばやけくそ気味に考える中からあるヒントが浮かび上がりました。

3. 「癖の無いケーブル」から、「沢山の癖を持たせる」へ

それは、ケーブル業界が金科玉条のように掲げて来た「癖のないケーブル」から、「様々な音楽にとっての最適なキャラクターを欠かせない要素として、一本のケーブル内に併せ持たせる」という、これまでのオーディオ界の常識を打ち破る考え方でした。思い切った逆転の発想です。

一本のケーブルが沢山のキャラクターを併せ持っていれば、そこにどんな音楽信号が流れたとしても、それを得意とするものが入れ替わり対応する事によって、常に理想とする音楽表現が可能となります。


第3章 オールマイティー型自動制御ケーブル

1. 奇想天外なケーブルのその中身とは?

多様な音楽の形態や表現にフィットするような、融通無碍なるメカニズムをケーブル内に仕込む事によって、あらゆるリズムやテンポに対応出来る「オールマイティー型自動制御ケーブル」が可能となります。ここでは、電源ケーブルを除く他の全てに共通した設計が用いられます。

その構造には作曲の手法を用いています。ケーブルの直列ライン上には、リズムやテンポに呼応する複数の長さの物を組み合わせ対応します。抑揚やエモーショナルな表現に対しては、その難易度に応じて幾つかの並列回路を、サブバッテリー的に抱かせる形態を持たせます。だから構造としては、ケーブルの始点から終点までの間に、その本数やボリュームが複雑に変化するようになり、その変化の有り様がケーブルの作り込みノウハウであり命であります。

2. 真似ると、醜く卑しい音になる

しかし、企業にとっての生命線とも言える技術を何故公開するのか? カイザーサウンドは気でも狂ったのか?! そう思われても不思議ではありません。しかし、心配はご無用です。どう頑張ってもその本質を真似る事は出来ないのです。中国高速鉄道の例を見れば分かるように、本当の技術やノウハウというものは、表面的なテクニックにあるのではなく、その開発姿勢をも含めたスピリットを礎とした中に存在するのです。

"音楽は人の心を写す鏡"です。ケーブルとは別のところで、その"音を写す鏡"なる製品を、"瀬兵音鏡"(せひょうおんきょう)という製品名で開発を済ませています。その不思議な「ヒューマンエネルギー」を、この機会に是非ご体験頂きたいと思います。

3. デンジャラス且つ、九牛一毛なる設計

勿論この手法が"音の良し悪しには周期性がある!"と発表した、"カイザーゲージ"の考え方と軌を一にするのは言うまでもありません。そしてこれは、その『音の良い長さの組み合わせ』というケーブル製作に於ける『和音』が判らない限り、やればやるほど酷い音になる危険性を伴った『九牛一毛』なる設計メカニズムです。

4. 自然界の掟に従って設計したケーブル

別名"先回り免疫体構造"と表現しても差し支えありません。それはウイルスに感染しても発病しないよう、予防接種によって事前に免疫力を付けておくホメオパシー(同種療法)的思考と同じです。

あらゆる音楽に対応可能という事は、全てはお見通し! と言えるが如く、何時如何なる時でも、如何なる戦術戦法で攻めて来ようとも、対応可能な能力を身に付けておくのが、「オールマイティー型自動制御ケーブル」の姿であります。

アメリカが強国に成れたのは、多民族国家故の、日常がオリンピック状態のような厳しい競争社会に晒されているからではないでしょうか。

生き物は、厳しくかつ変化に富んだ環境で育つほど生命力が高くなり、寿命の長い多様性に富んだ強い種へと成長して行きます。ローゼンクランツのケーブルは、この自然界の掟に従って設計したケーブルであり、多様性と逞しさを、素線のオリジナル化や構造全てで表現したものです。

5. 純粋なケーブルこそ固有の癖を持つ

それに対して一般のケーブルは、どんなに高額であろうとも、線材をオリジナルで引き出したり撚りピッチ等まで設計するなど滅多な事ではありません。JISやUL規格として存在する線材を使った、単調な設計思想で作られた物がほとんどです。それはそこまで微細な構造の影響が音にどのように現れるのか、ほとんど研究されていなかったという事であります。

従って、始まりから終わりまで、そのケーブルなりの良くも悪くも一定の癖のままでしか進む事が出来ません。即ち、その固体としての同じニュアンスの繰り返しに終始するのです。当然の結果として、表現に得意分野と苦手分野がどうしても出て来ます。

手持ちのディスクにしても棚に収まったきりの物が増え、それらは二度とプレーヤーのトレイに載る事はありません。音楽好きにとっては大変辛い事です。これはある分野での能力は高くても、環境の変化に適応出来ないひ弱な生物と似ていて『適者生存』とはなりません。

6. ケーブルを極めずしてオーディオを語ることなかれ

ケーブルによって音楽再生時に何故得意な音と苦手な音となって現れるのか?。音はさまざまな波長の重なりによって成り立っています。それはケーブルの元となる素線径と束ねる本数によって太さが変わるように、どこをどう変えても音やニュアンスは常に変わります。そのファクターの多さを考えると気が遠くなるほどです。

私はかくも難しくなってしまったステレオから、一つずつ不安定要素を減らして行きたいと思って、「音のカラクリ」の解明に一生懸命頑張っております。このところは特にケーブルの怖さと大切さを痛感する事が多く、少し前から次のような格言を発信しているところです。

ケーブルを極めずしてオーディオを語ることなかれ


7. ストレスに強いオリジナル素線導体を開発

その一定の癖や同じニュアンスにならない為に施す、ローゼンクランツ技術の一端をご紹介しましょう。その一つが戸籍簿管理と呼んでいるものです。最初の線引きの段階で大きなドラムに巻き取ります。次に撚る本数(7本)と同じ数の子のドラムに巻き取ります。この段階で戸籍簿管理を行います。最初に小分けしたドラムが7男の末っ子となり、尚且つ、巻き終わりに出ているケーブルの先端が先に生まれた7男の頭側になります。

こうして長男から7男まで方向性と戸籍簿管理されたドラムを撚り機に装填するのですが、ここでも素線に応力ストレスが掛からない最新鋭の撚り機を使います。撚りピッチに於いても推進力が最大値となるよう、こちらから厳密なる指定をします。その時にドラムの配置順を一風変わった手法で決めます。中心に1を配置し、その外側に右捻りで425367といった風に前後を微妙に入れ替えます。

これは自転車競技の団体戦から得た閃きですが、満遍なく先頭が入れ替わる事によって、全体に疲れが出ないように、尚且つ総合力が上がる工夫を配置によって凝らすのです。後の項でも触れてありますが、これがピーク性能を抑えつつチーム力を引き上げるのに最も効果があるノウハウです。

これはラグビーの世界にある格言「One For All. All For One」とピッタリ当てはまります。しかし、僅か数千メートルのロットでこんな面倒な工法は、どんな線材メーカーでも通常は絶対に引き受けてくれるものではありません。

ごく稀ではあるのでしょうが、真の技術者魂を持った人はいるもので、熱い情熱は縁をも導きます。「ローゼンクランツの音と音楽の違いの究明活動を手伝う事により、今まで科学の力で証明出来なかった事の解明に繋がるかもしれない・・・」というところに、三菱電線という大メーカーが当社の理念追求の姿勢とロマンに対して強い共感を持って下さり、強力なバックアップ体制を敷いて頂ける事となりました。そしてそれによってローゼンクランツの思想を、ケーブルという形に具現化する事が出来たのです。ここで改めて、三菱電線さんには深い感謝を申し上げたく存じます。


第4章 ケーブル設計者達が掲げるテーマの違い

1. 目的と手段が逆になった設計思想

「導体が高純度であるほど素晴らしい音の再現が可能である!」という考え方と、「ケーブルの役割とは、機器の持っている能力を最大限に発揮させる事である!」という二つが、一般的なケーブル設計者の考え方です。聞こえは良いのですが、私には目的と手段が逆のように思えてなりません。

2. 高純度を命題としたケーブル設計の落とし穴

先ず導体の高純度をよりどころとしたケーブルについて考察してみましょう。結論から言って、ケーブルは導体が高純度であるほど、音(音楽)表現が良くなるとは言えません。ストレスに対する耐性面は高純度だと逆に不利に働く事があり、又、きれい過ぎる音色は、現実離れした不自然さを表す事にもなるのです。

@ ボトルネック現象が頻繁に起こる

情報を速く大量に伝送出来るという事はそれ自体良い事ですが、それが全体に良い影響を与えるかどうかは又別の問題です。現実の荒れ狂う電源汚染環境の中では、ひとつの劣った部分が全体の足を引っ張るというボトルネック現象が頻繁に起こり、一気に大量の情報を送れるが故に、音詰まり、音抜けの悪さといったマイナス面を露呈する事にも繋がります。又、音詰まりは導体の撚りピッチや、絶縁材及びシースの厚み等設計の拙さによっても引き起こされる事を知っておいて欲しいものです。

機器の中には純度の低い配線や、何百何千という継ぎはぎだらけの半田付け部分があります。箱の中に隠れている物の純度は問題ないのでしょうか? チェックの必要はないのでしょうか? あるいは見て見ぬふりをするのでしょうか?

A 一部分が優秀過ぎては、全体の調和が取れない

要するにたとえ一部分が極めて優秀であったとしても、それで以て全体のバランスが崩れてしまっては、より欠点が目立つという結果になるのです。全体から部分を見るのではなく、部分から全体を捉え、優秀な部分の総和が必ず優れた全体像を作り出すと考えるのは、近代科学に毒された私達の幻想です。私達はその幻想に強く囚われてしまい、それが本当に正しい事であるのかどうか、ほとんど検証する事無しに、これまで様々なものを積み上げて来てしまったのです。

3. 機器の能力を引き出す事を命題としたケーブルの落とし穴

「機器の持っている能力を最大限に発揮させるのがケーブルの仕事である!」という考えについて考察します。ケーブルは他の機器と勝負する訳ではありません。芸術家が表現する音楽、即ち人間の魔性がテーマであり相手です。戦うのは対戦相手ではなく審判だと言っているのに等しく、誤解も間違いも甚だしい限りです。対象となる相手を間違えると、とんでもなく可笑しな事になります。

@ 頑張れば頑張るほど本質から遠ざかる

機器の持っている能力を引き出す事がテーマなら、そもそも機器自体が不完全な物なのだから、能力を引き出そうとすればするほど、不完全な音を作る行為に繋がります。その考え方でしたら、東西南北の各極に振れる音作りに他なりません。即ち、頑張れば頑張るほど本質から離れる事になります。この考え方をしている時点で早々と失格です。

4. 苦手なところは捨て、個性を磨くケーブル設計

例えば、「ドラムであり、ピアノの魅力を狙った音を作るんだ!」という様に、ある種の開き直りやいさぎ良さがあるのであれば、又、聴く音楽を絞り込むという条件付であれば、魅力ある音を作れる可能性はあると思います。この考えが当てはまるのは、楽器の編成数が少ないジャズやボーカル等でしょう。シンフォニーに代表されるクラシック音楽にはこのアプローチでは全く通用しません。

5. 能力の劣る所に合わせ、ステレオの総合力を引き上げる

ステレオを一つのチームとして捉え、周りとの関係性を考慮した中での製品設計をせず、ひたすら個々の性能を上げる事だけを目標に頑張って来た、全体を診れない顕微鏡人間達の作った商品には調和の欠片もある筈ありません。この点に於いて業界は猛省すべきです。

音楽の魅力を引き出したいのであれば、むしろ、ケーブルに性能を落とすゆとりと機能を持たせ、各機器と歩調を合わせる事に注力し、全体の総合力としての性能を上げるというのが私の考えです。

性能を落とすと言うと語弊があるので、相手に合わせられる柔軟性を持ちつつ、全体の流れの中で加速と減速の調和を上手く取るのが、ステレオチーム全体の理想の姿です。ここら辺りの感覚を、カイザーサウンドでは「加速度組み立て」と呼び、ネジ1本締めるにも集中力と真心を込めるのです。オーディオクリニックの第一人者としてのプライドと拘りであります。


第5章 東洋的思想である陰陽のバランスに着目

1. 陰陽のバランスに立脚した音作り

このテーマは別の機会に詳しく触れる予定ですが、宇宙はすべからくお互いが引き合い反発し合う「陰陽のバランス」によって成り立っております。ローゼンクランツの音作りは全てそこに立脚しております。

エネルギー運動が枯渇しないように、シャッフル運動、回転運動、煽り運動、緩急・強弱運動が全方位に往来可能となるように設計してあります。手作りであるからこそ、そして、匠ならではの手作りでしか成し得ない設計アプローチです。

だからこそ、ローゼンクランツのケーブルからは、魂を揺さぶる音が湧き出るのです。重点テーマにした対極する陰陽表現の種類は次のように大変多岐に渡りました。

(陰) -50 0 +50 (陽)
←→
←→
←→
←→
←→
    
(陰) -50 0 +50 (陽)
←→
←→
←→
←→
←→

陰陽魚太極図

この陰陽魚対極図を見て頂くと分ると思いますが、常に陰陽お互いが二つで一つとなっています。また、陽の中に小陰があり、陰の中にも小陽が混在しています。誰でも理解出来る事は自分の中にある感情も、その時々によって悲しくも楽しくも移ろうものです。ここでは、その陰陽については深く掘り下げませんが、感覚として分って頂くだけで充分です。一例を挙げますと、歌手の「さだまさし」の声は、陽の中の小陰=男性の中にある女性性となります。

2. 100点満点ではなく、0点満点であるべき

ステレオの極意は無為自然、あるがままであり、陰陽の調和が取れているものほど良いのです。それとは対照的に、どの項目に於いても高得点を求めようとする、従来の考え方は、ゴール無きエンドレスゲームのようなものです。私達の社会が物質的繁栄のみを追い求め、地球環境を破壊し尽くし、人々の表情から笑みを奪ってしまったのはその典型です。

物質、性能、数値を目標とした100点満点ではなく、全体の調和を旨とした0点という中庸を機軸とし、陰方向に50点、陽方向に50点である事がステレオの極意であり、望むべき生き方の基本なのです。

「ハイエンドケーブルを総括」のところで触れた、「清澄」⇔「汚濁」の表現に関しても、導体の純度が高ければ高いほど良い! とは言えません。それは、良き音楽再生に必要な、多くの構成要因の中の技術の一つでしかありません。純度に関しては5Nもあれば充分です。その方が、他の構成員と仲良く連携を取った素晴らしいステレオのチームが出来上がるのです。


第6章 脳の深層部の本能的情動や感情を揺さぶる

1. 爬虫類脳、旧哺乳類脳、人間の脳

人の脳の礎は爬虫類から始まり、建物を積み上げる形で進化を遂げて来ました。その最も深い部分は、心拍、呼吸、血圧、体温等を調整する基本的な生命維持機能を司る自律神経と種の保存や自己保全といった働きをしています。

二層目の旧哺乳類脳には、本能的情動や感情、行動を生起させる機能を担ったり、外敵と対峙した時には逃避するか攻撃するかの防衛本能が備わり、また、生殖活動や子育ての母性的欲動本能が芽生えます。

三層目の新哺乳類脳は、右脳、左脳を中心に言語機能、学習能力、創造的思考能力や人間特有の知性や知能等の高次脳機能を身に付け、更に文明の発達に伴い個性も感情も豊かになりました。

2. 本能的情動や感情を揺さぶるケーブル

しかしながら、物質文明、情報文明の真っ只中に暮らす私達は、溢れんばかりの情報に翻弄され、自分自身で決断する自信も勇気も失い、しっかりとしたアイデンティティーを築けないまま周囲を気にするばかりです。

折角身に付けた高次脳も機能不全に陥ってしまい、動物としての闘争本能も萎えてしまったかのようです。特に男性の女性化現象が目立ち、最近では草食系男子なる言葉が誕生するほどです。

自分を守ろうとする防衛本能の一つとして、自己の存在を目立たないよう希薄化しようとする傾向が散見されます。雷鳥等に見られる保護色の装備に似ているのかもしれません。であるならば、もっと深層部の「本能的情動や感情」を揺さぶるような音楽の魂をぶつけてみたいものです。

私が音楽のエネルギーに対して求めているものは、個人の好みによって、感じ方や受け止め方に違いが生じるような、曖昧模糊としたものではありません。危険を察知した時に動物が一斉に走り出すような、命を守る為の本能的な「動物的原始脳」にダイレクトに触れるものです。

戦時中に流行った歌を探していて出会ったのですが、高峰美枝子さんの"湖畔の宿"には、思わず涙で頬が濡れてしまいました。「この曲には戦地の慰問先で、特攻隊の方の前で唄った辛い思い出が忘れられません・・・」。心のこもった唄は凄いですね・・・。


3. 武士道精神の男根を去勢された日本人

この論文も一応書き終え、校正する為に何度も読み返していると、どういう訳かこの項のところで必ず立ち止まってしまうのです。その点だけが腑に落ちませんでした。若者達が「自己を透明化せざるを得なくなる、その根本の原因はどこにあるのだろう?」。喜怒哀楽の感情センサーを鈍くする方向に何故持って行くのだろう?」。

普段の私の方向性とは、まるで反対の生き方だから気付き難かったのです。真剣に考えるほど、私の中では「彼らのせいではない! 環境が原因だ!」という結論に至りました。今日、8月15日は終戦記念日。平和について考え、ご先祖をお迎えする特別な日です。しかし、今の日本では「死生観」とか「国家主権」とかについて検証しようとしたり、議論し合う事さえ許されない空気に覆われています。

これらについては、不作為の罪にも等しい日本特有の事なかれ主義と先送りに問題の根があります。日本の外交政治と教育の責任です。特に戦後のGHQ政策に於いて、日本人から武士道精神や軍国主義を抹殺するべく、侵略戦争の自虐感や個人快楽主義、拝金主義等の刷り込みによって、和洋価値感拮抗による精神混迷状態が起こっていると思います。経済に於いてもプラザ合意、スーパー301条と無理難題を迫られても、敗戦国故の辛さは言いなりしか道はなかったのでしょうか。

又、アジアに目を向けると、中・韓からの反日包囲網による愚民化策に押されっ放しです。土下座外交の繰り返しは止め、毅然としつつ真摯な心で戦争の歴史認識を関係諸国と話し合う事に勤め、日本人としての誇りを取り戻さなければなりません。

そして、国民は自分自身と同じく国を大切にし、国家観と主権を確立しなければなりません。アメリカという用心棒に頼っていてばかりでは、いざという時に困ると思います。三流国家になりかけの今が正念場です。国民挙げての総意で答えを導き出さなければなりません。


第7章 超伝導リニアモーターカーの技術に着眼

1. 世界に誇る超伝導リニアモーターカーは500km/h

前振りが長くなる事をお詫びした上で、新幹線とリニアモーターカーにまつわるお話をさせて頂きます。従来の新幹線の性能を上げるべく強力なモーターを開発しようとも、線路の上を車輪で走る限りは駆動力と摩擦係数との戦いですから、速度を上げるほどに生じる浮力の限界点へと近づく危険性と睨めっこの連続です。

これ以上高速で安定した走りと乗り心地の確保を狙うなら、全く違う方式の発明とチャレンジ精神が要求されます。それが超伝導技術を駆使したリニアモーターカーとして、JR東海によって実現されようとしております。完成した暁には、500kmある東京⇔大阪の所要時間が1時間に短縮されます。

2. 磁石の力で浮かせ、走らせる高度な電磁制御技術

日本のリニアモーターカーはコストも膨大に掛かりますが、車体を浮かす為の磁極の距離が広く取れる最高難易度の技術が採用されています。開発に時間が掛かろうとも、あらゆる面での技術応用が可能となる、長い先までの事を考えて出した結論だそうです。リニアーは'62年の新幹線開通以前から研究しているので50年以上も経っている計算になります。技術立国日本の面目躍如たるチャレンジです。

そのリニアモーターカーの仕組みですが、全て磁石のN極とS極の組み合わせと配置によって出来ています。車体自体の側面にN極超伝導磁石を配し、車体の外側をUの字型ガイドウェーで囲います。

その側壁部分に下側がN極、上側がS極となる8の字型に配した磁石を配置する事で、車体下部はN極どおしで反発し、上部は車体の超伝導磁石のN極と壁側S極で引き寄せます。要するに車体を押し上げつつ引き寄せて浮かしているのです。


第8章 ケーブル内で超伝導技術に似た状態を起し得ないか!?

1. 導体純度を上げるより、インピーダンス変動幅を減らす事が重要

この遥か先を見越したビジョンと途方もない技術の挑戦に、私は大いなる刺激とヒントを受けました。そのオーディオケーブルに於いて最も大切なのは、導体の純度を上げる事よりもインピーダンス変動幅を如何に少なくする事が出来るかです。それが音の良し悪しという音楽表現力に最も深く関わっているであろう事を、私の中の直感は結論付けています。

このケーブル内でのインピーダンスの変動幅を極力小さくするのが、車体がガイド壁に当たらなくする為の振れ幅コントロール技術に通じる現象です。ケーブルに音楽信号を流すと振動が生じ、微弱ながら磁界が発生します、その磁界の発生の仕方をケーブル内でコントロールするメカニズムの導入が、今回のケーブルの設計理念であります。

その原因となるのが、スピーカーの根元に付いてるボイスコイルと磁界の関係です。流す電流量の2乗に比例して熱に変わるので、そのエネルギーロスは想像以上にケーブルに跳ね返ります。

SP ⇔ SP cable ⇔ AMP ⇔ AC cable のように、まるで人間同様、往路(動脈)と復路(静脈)の関係になっているので、一蓮托生バランスが一番大切なのです。ケーブルインピーダンスの変動幅を少なくさせるというのは、健康な血圧に相当するとも言えるでしょうし、血液の鉄分と酸素の関係は脳内でパルス波動となる為の一種の超伝導現象が起こっているのかもしれません。疑似体験と言えども、大いなる感動を与えてくれるステレオは本当に神秘です。

2. 撹乱心理戦と力勝負の両面作戦(投球術)

ここでやっと本題の核心部分に入れる状態が整いました。導体の純度に頼るのが前述した新幹線のモーターの話につながり、日本のリニアモーターカーに採用されている超伝導技術が、これからお話しする奇想天外な技術に繋がって行きます。

ローゼンクランツではそれを実現する為に、次の要素に重きを置いて研究開発を進めて参りました。更にここでは、電源ケーブルに採用する技術として、投手の投げる球種を例に挙げながら説明したいと思います。

@ 音の良い長さの組み合わせパターンを色々変えてみる
球はそれほど速くなくても、狙った所に投げられるコントロールの良さ。
打者との駆け引きに長けた対応力の高さ。
曲の読解力であり、音楽の自在な表現力です。

A 方向性の向きを色々なパターンに組み変えてみる
投げる球に速度変化を持たせる。
野球の投球でいうと、速度差は僅かだが、
伸びのある生きた球と、速さは同じようでも遅れて来るような球の違い。
音楽に於ける僅かな強弱の表現です。

B 撚りのピッチや右捻り、左捻りを適宜変えてみる
外に逃げるスライダー、内側に喰い込むシュート。
音楽に於ける凝縮と開放です。多彩な音色と技巧表現。

C 複数本ある線をほどき、撚るパートナーを色々変えてみる
基本的には速球ですが、縫い目の握りを変えるツーシーム、
フォーシームは手元で微妙に変化します。
音楽に於ける微妙な違いの表現です。

3. 何故にステレオに投球術の話なのか?

何故に音楽表現に対して投球術なのか? オーディオ技術者からすると『オーディオと関係のない話は沢山だ!』。『業界人ならエレクトロニクス技術を以って説明すべし!』と、罵詈雑言を浴びせたい気持ちになるかもしれません。

若しそうであるならば、私は逆にお訊ねしたい! 「一体どこへ行けば、感動するステレオの音を聞かせてくれるのですか?」と・・・。私のこの質問に答えられる方はそっと教えて下さい。その時は何処へでも飛んで参ります。すぐにでも勉強させて頂きたく存じます。

4. 怖いもの知らずの無法者を相手にする覚悟が必要

「素人は怖い!」とも、「赤ん坊ほど怖いものは無い!」とも言われます。それは何故でしょう?。「下手な知識は邪魔をする!」という格言ですね。音楽というのは、いつ何時どんな動きや展開になるか予測がつかないものです。常に怖いもの知らずの無法者を相手にする覚悟がなければなりません。でなければ、いとも簡単に音楽の魔物というエネルギーに打ち負かされてしまうからです。

そんな不可能を可能にするには、今までとは全く違う世界に目を向けるしかありません。たまたま私の場合はそれが若い頃に修練し、体得した野球の投球術の話だったというだけの事です。感覚の世界ですから、自分が一番判り易い分野であれば何でも良いのです。


第9章 ステレオは計算不能な負荷物

1. 計算出来る負荷物と計算出来ない負荷物

何千馬力のクレーンやモーターでも、計算枠内の負荷であれば、その命令通り忠実に仕事をこなします。けれども、音楽という計算不能な魔物を扱うステレオという負荷装置は、全くの別物です。

ステレオは電気製品であり、かつ芸術再生装置なのですから、『ステレオほど計算不可能で厄介な物は無い!』と電気の専門家である筈の電力会社だってお手上げなんです。それを知って初めて、難攻不落の魔物と言われるステレオに挑む挑戦権が手に出来るのです。

だから何キロワットのアンプを持って来ても、それで音楽という魔物が要求する動特性には対応不能となります。特にインピーダンスが1Ω〜2Ωにまで下がるスピーカーなんてもっての他であり、目指している事に辿り着く確立は万分の一以下と言って差し支えありません。

2. ステレオの感動値が下がり始めたのはPCM出現時

ここで一気に話を30年以上前に戻します。ステレオの発する音の感動値が下がり始めたのは、アナログの末期に登場した、PCM録音あたりがターニングポイントだと思います。そのPCMレコードは姿こそLPレコードなのですが、むしろ音はCDに近く、逆にアナログマスターを音源としたCDの方がLPのような音がします。この現象を元に結論を導き出すと、保存性や操作性を考えた場合、アナログで録った物を、途中からデジタル化する事が望ましいと思います。

直接的な因果関係は分かりませんが、その頃と時を重ねるように、電源汚染という新たな環境問題も生じ、良い音が作り出す事が出来なくなりました。これは紛れも無い事実であり、売りたいが為に新技術や数字ばかりを目標に掲げ、足元が脆弱なまま先へ先へと進んで来た付けが、今大きくのし掛かって来ているのです。

メインストリートしか歩いた事のない主流派の人達は、セオリーとか前例とかの縛りの中で物事を考える傾向が強く、いつも慣れたフィールドでしか勝負をしたがりません。閃きとは一番縁遠い立ち位置です。

3. 現代のステレオは単なる「高性能音発生機」

現代のステレオは「高性能音発生機」あるいは、「単調な音の羅列」と化してしまい、最早、「音楽のおの字」さえも聞かせてはくれません。何を見据え、どんな音にしたいのかさっぱり見えないですね。

彼らは技術畑に於いては良い結果を柴々出すのですが、芸術的表現となるとカラッキシ駄目なのです。それは当たり前の事ですね。人間には適正というものがありますから。技術畑の人に芸術性を求める方に無理があるのかもしれません。

4. IQも偏差値も何の役にも立たない領域

芸術的閃きは努力して出来るものではありません。それは生まれながらにして持っていない限り無理です。六感、七感あたりが閃かないと、今までに無いものを誕生させる事など到底不可能です。恐らくIQも偏差値も何の役にも立たない領域だと私は思います。

言葉の議論など全く通用しない、生きるか死ぬかの動物の世界に飛び込んだような殺気溢れる状態なのです。自分の身を助けるのは自分でしかありません。これが動物社会の本来の姿であって、今の人間社会の方がむしろアブノーマルな世界だと思います。さて、ここらあたりまで来ると、私の事が少しずつ理解して頂けるようになったのではないでしょうか。そうですね、シンプルに野生に還ろうとしているだけです。


第10章 逆相磁界によるインピーダンスの平滑化は「超伝導現象」?!

1. 逆相磁界による磁界のキャンセルは能率アップに繋がる

上記のような試みを地味にこなし、気の遠くなるような数のケーブルを作っては聴きを7年ほど繰り返しました。その結果、発生した磁界をキャンセルする逆相磁界を作り出す事に成功したのです。

それによるインピーダンスの平滑化がもたらす効果は絶大で、全くと言っていいほどアンプに負荷が掛からなくなったのです。抵抗が少なくなったスピーカーは能率が10デシベルほどアップしたかのような鳴りっぷりに変身します。正に抜山蓋世(ばつざんがいせい)、これはある種「擬似超伝導現象」ではないかと一人ほくそ笑んでいます。

2. 逆相磁界でインバーター家電のノイズ除去に成功 

もう一つ凄い事が起こったのは汚染された電気の改善でした。ピントがビシッと合ったお陰で、今まで埋もれていた楽器の音が手に取るように聞こえるようになった事です。これは信じ難い凄い技術革新です。

バッハのように、似ているみたいでも微妙に違う旋律を繰り返す、一見シンプルに聞こえる中に、深い味わいを見い出す抑揚表現には驚くほどの効果を発揮しました。デジタルが一番苦手とした表現です。無伴奏チェロも良いですけど、ブランデンブルグ協奏曲は最高です。

逆相磁界によってノイズをキャンセルする働きを持つケーブルは、オーディオ機器に直接繋ぐ電源ケーブルだけではなく、冷蔵庫、電子レンジ、パソコン、テレビ等の電源ケーブルの先に継ぎ足す方法のケーブルが色々な福音をもたらす事となりました。ここまですれば電源対策は万全です。

一方電源対策にはトランス方式やアイソレーションインバーター電源式がありますが、何分にも肝心要の音楽のエネルギーが減退する方向なのが私を満足させる事が出来ないのです。

» インバーター機器がもたらす電源汚染

3. 人間の健康を一番に考えて、取り組んだ電源ケーブル

今回の電源ケーブルに関しては、音よりも健康面を一番に考えて取り組んだの が事の始まりなんです。電気釜であるならば、より美味しいご飯が炊けるように というのが目的です。

私の場合は毎日十穀米を食べていますが、明らかに栄養価が高くなったように 感じます。また、冷蔵庫に保管してある食品の鮮度が損なわれないようにとも考 えました。勿論電子レンジも考慮に入っています。健康には日々気をつけていま す。

人間の健康面に効果が現れるのであれば、音楽面に於いても絶対に良い筈だ というのは、最初の段階から想定はしていました。今回の論文では音がメインで したから、健康や安心感が一番最後になってしまいましたが、食も音楽も生きた いという本能の部分と直結しているという事を、最後の結びとさせて頂きます。

何故ならば、食べる喜びも音楽を聞いて感動するのも、同じ脳が感ずる事だか らです。普段からミネラルたっぷりの畑で育った野菜や、玄米に近い少な目の脱 穀米を食していると、味覚に対する感覚が磨かれ感性豊かな脳を育てる事に繋が ります。私は日々そうした食文化を大切にして生活しています。

■スピーカーケーブル
■ピンケーブル
■デジタルケーブル
■電源ケーブル
フルラインナップで登場予定


結び

「オールマイティー型自動制御ケーブル」は、
私貝崎静雄のオーディオ人としての、
ケーブルをテーマとした卒業論文であると同時に、
オーディオを最高の音に導く為に欠かせぬ切り札であります。

オーディオファイルの皆さん!
音楽ファンの皆さん!
オーディオマニアの皆さん!

後顧の憂いの無いように、
貴方の大切なステレオで是非聴いてみて下さい。

長文を最後までお読み頂いた方には厚く御礼申し上げます。
お気づきの点、又はご感想を頂けると嬉しく存じます。

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カイザーサウンド
代表取締役 貝崎静雄
平成23年8月15日