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朝青龍の引退に我を重ね思う事

朝青龍の最後は品格無き横綱という烙印を押されて引退に追い込まれましたが、外国人に日本の美学を理解しろと言っても無理があるように思えなくもありません。日本人であっても朝青龍以上に日本の心を理解出来ていない人達が今日では沢山いると思います。

彼の場合は恵まれた血統に無類の負けん気の強さと努力によって、目にも留まらぬ速さで横綱に駆け上がってしまったので、お相撲さんとしての心構えであり、横綱としての品格というものを誰にも教えて貰う間もなかったでしょう。

その上一人横綱で21場所も頑張り、相撲協会は彼におんぶに抱っこの感もあり、強く指導出来ない空気が出来てしまった事もあると思います。朝青龍のみならず相撲協会幹部達も責められてしかるべきです。相撲界に立て続けに起こる不祥事は、一門という派閥の呪縛の中で自己保身に汲々とする、今回の理事選挙が全てを物語っていたと言って良いでしょう。

引退直後の朝青龍のインタビューの中に、「土俵に上がったら鬼になるし、今までに無い人ですから仕方ないです」という言葉にはしんみりしました。”天真爛漫”、”天衣無縫”な彼はモンゴルの草原に生きる野生児そのものでした。

自分を奮い立たせたり、モチベーションを保ち続けたりする事が出来ないと、人に負けないだけの卓越した結果を残す事など到底不可能です。私の場合も誰にも負けない素晴らしい音を作ろうとする余り、「大言壮語」になる事が多々あり、今回の朝青龍のニュースや記事を見聞きする度に、瓜二つの自分の姿とだぶって我が身と心に恥入り涙が瞼を濡らします・・・。

若しも私が「不言実行」をモットーとしていたら、今の製品の半分の音も作れなかった事だけは間違いないと言い切れます。好きなオーディオの道を選んでしまったが故に、野生と本能を全開にせざるを得なかった面はあると思います。

それにしても、品格という言葉を身にしみて感じさせられる昨日今日です。

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