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尖閣諸島 高まる日中緊張

2012.7.16 08:32 MSN

沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張に各国メディアも強い関心を寄せる。東京都の石原慎太郎知事による尖閣購入計画に続き、野田佳彦首相が国有化方針を打ち出して以降、中国では武力行使もちらつかせる過激な論調が目立つ。日中両国と領海問題を抱える韓国もひとごとではなく、中国の反日行動を積極報道。欧米は緊張緩和へ外交努力を促している。


▼フィナンシャル・タイムズ(英国)

野田首相は巧みな外交を

野田佳彦首相は、日本政府が尖閣諸島を購入する意向を示した。中国はこれに反発しているが、同紙は「石原都知事のより挑発的な意図の裏をかくよう、よく工夫した内容のようにみえる」として、島々が開発されずに残すことができるのであれば、主権問題を休眠状態にしておくために最上の方法だと評価した。

しかし、成功させるには、野田首相は、中国政府を説得し邪魔をさせないように巧みな外交を身につけなければならないとクギを刺し、関係する全ての政府も全面対決のコストを念頭に置いて協力すべきだと強調した。(ロンドン 内藤泰朗)

10日付の英紙フィナンシャル・タイムズは「アジアの好戦的愛国主義」と題する社説を掲載し、日中両政府は尖閣諸島をめぐる両国の緊張を鎮めるよう早急に行動すべきだと訴えた。

同紙はまず、尖閣諸島を日本が実効支配する東シナ海に浮かぶ無人島群で、日本政府が個人所有者から借り上げて管理をしていると説明した上で、「現段階では漁業資源しか恩恵がない島々だが、海洋法で排他的経済水域が設定され、ほんのわずかな領有上の価値も魅力的になった」と指摘。

中国について「経済発展に伴い、周辺海域への権利を主張し始めて周辺国の神経を逆なでしている」と述べた。さらに、尖閣の現状維持の枠組みが、中国漁船による挑発行為や東京都による購入表明などで崩れて、両国間の緊張が高まっていると解説する。

同紙は、この問題を海洋法で解決する方法もあるが、非常に困難だと指摘。世界では、領有権や主権問題を棚上げにして資源の共同開発で合意する国々もあるとして、「すでに東シナ海の別の場所で天然ガスの共同開発で合意した中国と日本も、この方法で得るところは大きい」と主張する。


▼文化日報(韓国)

韓中共同で日本に対抗を

野田佳彦政権による尖閣国有化方針の表明について、東シナ海で中国との境界線未確定海域を抱える一方、大陸棚の延長問題では日本と利害が対立している韓国では、日本に敵対的な行動を取る中国の姿勢を積極的に伝える半面、領土拡張の野心をもつ中国の対外行動という観点からも高い関心を寄せている。

9日付の文化日報は、野田首相の尖閣国有化表明を受けた記事の中で「(韓国が)東シナ海の大陸棚に関する権利を認めるよう国連大陸棚限界委員会に求めている問題で最近、韓中両政府が足並みをそろえ、協調しながらこの問題に対処しようとする様相がある」と指摘。中国と韓国が共同で日本に対抗している構図を示した。

韓国では、中国の対日強硬姿勢についても関心が高い。中国海軍が東シナ海で今月実施した実弾訓練についても、9日付の中央日報は、中国メディアを引用し「日本への警告的な性格が強い」と強調している。

文化日報は9日付の別の記事で、「中国は、海上の領有権争いが存在するフィリピンやベトナムなどASEAN(東南アジア諸国連合)諸国には『平和的な解決』という原則を繰り返し表明する一方で、日本に対しては『必要なあらゆる手段をとる』と強硬姿勢を見せている」と分析した中国報道を伝え、領土問題について対応を使い分ける中国のしたたかな戦略を指摘した。

一方、野田首相の尖閣国有化方針表明の背景について、9日付の中央日報は「尖閣問題に対して手をこまねいていれば、民主党政権は『中国を恐れ、問題に背を向ける弱体政権』とする批判を免れなくなる」とし、「次期総選挙をにらんだ戦略的なアプローチだ」との見方を示した。(ソウル 加藤達也)


▼環球時報(中国)

監視船を武装船に換えよ

日本政府による沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化方針表明を受け、中国が動いた。漁業監視船3隻が日本の領海を侵犯。中国共産党機関紙、人民日報傘下の国際情報紙、環球時報は12日付の社説で「釣魚島問題における中国政府の妥協しない態度を支持する」と宣言し、さらなる強硬措置をあおっている。

同紙は「中国は釣魚島海域の巡航を常態化させるべきだ。そして漁業監視船を徐々に武装船に換えていき、日本の海上保安庁の準軍艦と対等にすべきだ」と主張。日本の巡視船を"軍艦"と見なし、中国側の武装化を正当化した。

尖閣諸島に行政機関やハイレベルの軍事施設、軍事演習区を設けることも促すなど論調はエスカレート。「軽々しく戦争と口にすべきではないが…」と前置きした上で、「このような軍事的な準備を半ば公然と進めることで、日本にいかなる軍事的措置も中国の強い反攻を受けることを知らしめる」と武力行使をちらつかせた。

両国関係がさらに悪化すれば、特に経済分野で損失を被るのは日本なのだという。世界第2位の経済大国となった"おごり"も隠さない同紙だが、過度に自分を大きく見せようとする話は、往々にして"虚勢"である場合が少なくない。

同紙は、日本や南シナ海で領有権を争うフィリピンやベトナムが「中国の台頭で、最終的に領有権争いで無力になることを恐れ、急いで小細工に出ている」と見下し、「胆略と度量は中国の意思の核心的な元素である」としている。

「武力で厄介ごとを一掃すべきではない」などと中国の「忍耐力」を強調するが、「中国は道理をわきまえた国家だ」と言うのならば、身勝手な言行を慎むべきは誰なのか、分かるはずだ。(北京 川越一)


Financial Times(英国新聞)の見出しには「Jingism in Asia」というタイトルで取り上げられている。Jingismという意味を調べてみると次のようにあった。

自国の国益を保護するためには他国に対し脅迫や武力行使を行なうこと(=戦争)も厭わない、あるいは自国を他国よりも優れていると見做す政治的立場を指す言葉。ナショナリズムの極端な例である。主戦論。強硬外交論。戦闘 的 ...


その語源は、〔ロシア-トルコ戦争のとき対ロシア強硬政策を主張した英国の主戦論者の異名 Jingo から〕感情的で好戦的な愛国主義。



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ジンゴイズムで見る帝国主義
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アメリカ合衆国が莫大な財政赤字と貿易赤字を抱えながらも、その赤字を上回る金を世界中からウォール街へ呼び込んでいるため、想像以上に経済破綻の可能性は低いことが明らかになっています。

これと似た状況にあったのが19世紀後半の大英帝国です。

いち早く産業革命を経験していたイギリスも、19世紀後半になると、フランスやドイツ、アメリカが急激に工業化を達成したした結果、輸出入の収支は大幅な赤字が続いていました。しかし、イギリスの経済力は他国に抜きん出ており、シティは世界金融の中心地の地位を維持していました。その主な原因はイギリスの対外資本輸出の巨大さです。福井憲彦学習院大学教授の『近代ヨーロッパ史』によると、1870年から20世紀初頭にかけて、イギリス一国だけで、世界各国の国外投資額総計のほぼ半分を占めていたのです。

こうしたイギリスの帝国主義は抜け目のない政治家や強欲な資本家、野望にとりつかれた軍人だけによって行われていたわけではありません。世論がそれを後押ししたのです。

その世論形成の重要な担い手が『デイリー・メール(The Daily Mail)』紙です。この新聞はロザミア卿(Harold Sidney Harmsworth, 1st Viscount Rothermere)とノースクリフ卿(Alfred Harmsworth, 1st Viscount Northcliffe)によって1896年5月4日に創刊されました。同紙は英国史上初のタブロイド紙です。現在も発行され、200万部を越えています。英語の新聞としては世界第二位の発行部数を誇っています。

19世紀末になると、義務教育制度の整備と共に、識字率が向上し、潜在的な新聞の購読者が見込まれるようになります。ノースクリフ卿は従来の知識層ではなく、中小の事業主や労働者にターゲットに絞った新聞を考案します。

そのため、短くて分かりやすい記事と写真を採用し、スリルとサスペンスに満ち、善悪のはっきりとした連載小説を導入します。さらに、価格を安くするために、商品や企業の広告を多量に載せ、その宣伝費で製造・販売コストを補うことにしました。産業革命の恩恵により、大量印刷の技術が生まれたものの、価格を下げるのは限界に達していたのです。このシステムは現在に至るまで使われています。半ペニーで、8ページの新聞は、創刊後、すぐに50万部を突破し、イギリスで初めて100万部を超えた新聞となります。

それまでの新聞はオピニオン・ペーパーであり、政治的主張を教養ある読者に向け、品よく、いささか回りくどい言い回しで語っていました。

しかし、デイリー・メールは違いました。その記事の中心は「ジンゴイズム(Jingoism)」です。これは好戦的愛国主義とも訳されますが、もともと、アイルランドの歌手G・H・マクダーモット(G. H. MacDermott)が1878年に流行らせた次のような歌詞に由来します。

We don't want to fight俺たちゃ戦いたかない)
But, by Jingo, if we do,(でも、そうさ、やることになったら)
We've got the ships,(俺たちにゃ艦隊がある)
We've got the men,(俺たちにゃ兵隊がいる)
We've got the money, too.(俺たちにゃ金もあるんだぜ)

"By Jingo!"は合いの手で、「そうだ!」や「まったく!」といった意味があります。今で言うと、「ビンゴ(Bingo)」です。この好戦的な歌はパブやミュージック・ホールでお馴染みとなります。その当時のイギリス首相は好戦的なベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield)で、彼は国内の対立を有権者の目からそらすために、「大イギリス主義(Large Englandism)」を唱え、各地で戦争を繰り返し、領土を拡大していきます。

彼は保守派の政治家ですが、敵を作り出し、それと対決している姿を有権者にアピールすることで、鬱屈とした労働者にも高揚感を与え、パブやミュージック・ホールで憂さ晴らしをする層からも支持されます。こうした社会的背景の下、妄信的な愛国主義を「ジンゴイズム」と呼ぶようになったのです。

デイリー・メールはまさにジンゴイズムの新聞でした。自国や自国民の優秀さ、進歩性、誇り、品格、利害を愛国主義の名の下に煽り立て、他国がいかに劣等で、後進的、下劣、野蛮、身の程知らずであるかをセンセーショナルにこき下ろし、こういった国との自分たちは競争に勝ち抜かなければならないという内容の記事に溢れていたのです。

そのあまりに好戦的な記事のため、第一次世界大戦の勃発の後、デイリー・メールは戦争を扇動したと知識人から批判されています。

こういう歴史を見てくると、現在日本で発行されている保守的な月刊誌や週刊誌、新聞、テレビの多くはオピニオン・メディアではなく、ジンゴイズム・メディアに含まれることになります。にもかかわらず、中には「オピニオン」を掲げているものもありますが、それはあまりに自己讃美にすぎるでしょう。扶桑社の歴史教科書などジンゴイズム史観に立脚していると言わねばなりません。

大英帝国の帝国主義はこうした自省を欠いた愛国主義によって国内から支持されていきました。もちろん、それに異議を申し立て、本格的な帝国主義や植民地主義への批判を企てる知識人はいましたが、多勢に無勢でした。ジンゴイズムを支えたのは労働者だったのです。

ジンゴイズムの問題は自己批判が欠如しているため、本質的な議論につながらない点です。戦争が長引いたり、激化したりすれば、戦死者が増え、好戦的な人たちにも厭戦気分が生まれます。あんなところで、イギリスの若者が死ぬ価値なんてあるのかというわけです。

しかし、それにしたところで、その被害は人的ロスにつながり、国力が低下するという別の愛国主義に基づいているだけです。愛国主義の問題自身は不問にされてしまいます。

このジンゴイズムの呪縛は現在に至るまで続いています。愛国教育に熱心なアメリカは、まさに、その典型でしょう。マッカーシズムやベトナム戦争、グローバリゼーション、イラク戦争には明らかにジンゴイズムが見られます。

NHKの英会話の講師を務めていたジョセフ・ショールズはメキシコに留学したとき、初めて、世界の人たちはアメリカ人のようになりたがっているわけではないのだと知ったと告げています。彼は、子供の頃から、別に保守派ではありませんが、その彼であっても、アメリカは素晴らしい国であり、世界はアメリカを愛していると信じていたのです。

こうした信念の下では、アメリカの基準を世界が受け入れないことをわがままだと非難し、今日の帝国主義と言うべきグローバリゼーションに疑いを抱くこともありません。

イラクに入れば、民衆は諸手を上げて解放軍として自分たちを歓迎してくれると見こむなどというのは、よほど自惚れているとしか思えないのですが、アメリカ人は本気なのです。ジョージ・W・ブッシュ政権の戦略を批判する声もかなり上がってきていますけれども、そうしているのは愛国的な動機からです。

急進的なジンゴイズムと穏健なジンゴイズムが対立しているにすぎません。「私はアメリカを愛している。そして、イラク戦争も支持してきた。けれども、遠いイラクでアメリカの若者が死しんでいく意味とは何なのかを大統領は納得のいくように答えていない」と発しながらも、その問いかけ自身の問題点には気がついていないのです。ジンゴイズムの克服に取り組まなければなりません。

しかし、自己批判を欠いたジンゴイズムの蔓延という点では、1990年代以降の日本はアメリカ以上かもしれません。今でも、メディアには、連日、うんざりするジンゴイズム的言説が溢れています。ジンゴイズム的な発言を繰り返す政治家に人気が集まってしまうのです。

日本社会はかつてもジンゴイズムに囚われたことがありました。戦時中、武田泰淳や坂口安吾、石橋湛山らはほめ殺しやアイロニー、ユーモアによって日本社会のジンゴイズムを批判しました。多勢に無勢の状況でしたから、表面的には日本賛美ともとれるようにしていましたが、中野重治のような鋭敏な作家はそれに気がついていました。彼らはジンゴイズムと同時に別の愛国主義も批判しており、それは、残念ながら、依然として新鮮なのです。

「私は司馬遷を持ち上げるような文章を、三百枚近く書きつづった。決して彼個人に感心したわけではない。史記的世界を鼻さきに近づけ、グウかスウか、本音を吐いて見たまでである。吐いて見て我ながら自己の不徹底、だらしのなさ、慙愧に堪えぬ。真珠湾頭少年飛行士の信念を羨むのみである。莞爾として降下する彼らの眼底胸中には、史記的世界など影もとどめなかったであろうから。忠とは、身を史記的世界に置いて、日本中心を信ずる事である。油とは、史記的世界に肉身を露してたじろがぬ事である」

(武田泰淳『司馬遷─史記の世界)

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