トップ情報清貧オーディオの極(RK-AL12/Gen2) by N.S>私のオーディオの歴史と現在の音

私のオーディオの歴史と現在の音

清貧オーディオ愛好家(!)のN.Sと申します。このたびローゼンクランツの各種製品レポートを書くという役割を、ありがたくも仰せつかりました。それにあたり、まずはじめに私の自己紹介を兼ねたオーティオの歴史と考え方、そして最近手元に置くことになったRK-AL12/Gen2の音について書いてみたいと思います。


オーディオへの目覚め

私は昭和34年生まれの52歳、音というものに魅せられてかれこれ約40年になります。初めてのオーディオとの出合いは中学一年の時、母と一緒に秋葉原に行き、東芝のラジカセを買ってもらってことから始まります。あの頃はカセットで音が録音できるということに無上の喜びを感じ、ラジオから流れてくるお気に入りの曲をエアチェックしては喜んで繰り返し聴いていたものです。

その後高校入学と同時に一本25,000円のダイヤトーンの2ウエイスピーカーとパイオニアのレシーバーを手に入れ、迫力あるFM放送の音楽を楽しみました。当時は、FMファン、週刊FM、FMレコパルなどというFM雑誌が何種類も店頭に平積みされていました。

高一のお正月には年賀状配りのアルバイトをし、正月明けにテクニクスのダイレクトドライブのレコードプレーヤーとカートリッジ(SHURE V15-Type3)を手に入れ、本格的なオーディオフリークへの道をひた走ることになります。

高校生の頃に聴いていた音楽はもっぱらハードロックで、音楽専科、ミュージックライフという雑誌でロックの情報を仕入れ、ステレオ、オーディオアクセサリーでオーディオ記事を読んでは一喜一憂し、それらの本はすべてボロボロになるので読みつぶしました。

バイトをしてはアンプを買い換えたり、プレーヤーやスピーカーを自作し、また様々なアクセサリーを買い求めては音の変化を楽しんでいましたが、その中で特に印象に残っているもののひとつがスピーカスタンドによる音の変化です。

それまではダイヤトーンのスピーカーを買った時に一緒に買った細い棒をつなぎ合わせたスピーカースタンドを使っていたのですが、それを大きなコンクリートブロックに換えた時、スピーカーのぐらつきがなくなると同時に音の立ち上がりと明瞭度が一気にアップしました。

物理の作用反作用、振動するものの支点の明確化という当たり前に大切なことをその時に知ったのですが、数千円するメーカー製の専用の製品よりもホームセンターで買った数百円のブロックの方がはるかにいい音が出るという事実はとてもショックでした。

またスーパーツイーター(Fostex FT-90H)の追加も大きな効果を得ることができました。高域方向に大きく音域と情報量が広がり、それに伴って高域の歪み感が減少し、なぜか低音も明確に聞こえるようになったのはとても不思議でした。

大手メーカーの製品でもアクセサリーを追加することによって音世界が広がるということは、市販されているものそれ自体はまだ完成度が完璧に近いわけではないということです。これもその時に初めて知った事実です。


デジタルオーディオ以降

私が大学を卒業するちょうど半年前(82.10.1)にCDはデビューしました。当初は夢のオーディオととてももてはやされたCDですが、音楽性という面に於いてはそれが幻想であることは次第に明らかになっていきます。

けれどオーディオを改造することが大好きで、手を入れては壊すことを繰返していた私にとって、そのメンテナンスフリーで盤をすり減らすことなくいつも一定のいい音を再生してくれるCDは、とてもありがたい存在だと感じられました。

CDが次第に普及しはじめた頃、長岡鉄男設計のあの有名なスワンを作りました。強力な磁力を持った10センチフルレンジスピーカーに極小バッフル、スワン(白鳥)の首のようなバックロードホーンの音道を持つスワンは、スワンにしか出せない音があり、評論家立花隆をはじめとした数多くの愛好家が絶賛するだけの価値があります。

その立ち上がりがよく、自然で素直で、かつ音像が小さいステレオ感抜群のその音は、絶対に市販のスピーカーでは出すことのできないものです。このスワンの音を知り合いの家具メーカーの社長に聴かせたところとても気に入り、ショールームに置きたいということで、そこの工場でパイン材を使ったスワンを作ることになりました。

私もその社長にお願いし、自分用に新たなパイン材のスワンを作ってもらったのですが、やはり素人が作ったシナ合板のスワンと職人手作りのパイン材のスワンとでは音の響きに大きな差があり、素材の持つ響きの重要性ということを感じました。


競争のない世界

オーディオに限らず、趣味は喜びと同時に苦しみを生み出します。特にその世界に深くのめり込んでいったならばなおさらです。もっと上、もっと上、・・・よりいいものを、・・・その向上したいという思いは現状に対する不満につながり、終わりなき道を、永遠に届かないニンジンを追いかけて走り続けるようなものです。

元号が昭和から平成に代わった頃、縁あってガレージメーカーの真空管アンプを聴く機会があり、そのトランジスタアンプにはない音の温もりに一発で魅了され、手元に置くことにしました。

当時使っていたアンプはヤマハのA-2000という重量級プリメインで、安定感のあるいい音をしていたのですが、真空管と比べるとその音は情報量は豊かでも、音楽という面では実物とは似て非なる世界です。それはいくら解像度の高い写真でも、それを実物と見間違うことはないというのと同じです。

真空管アンプの出す音はシンプルです。けれど音数は少なくても、その音には実際の生演奏で感じられる音楽の感動の何分の一かは確実に含まれています。これはトランジスタと真空管アンプの違いとして、大きく言えることではないかと思われます。

また真空管アンプのシンプルな音は、フルレンジスピーカーの音の素直さとよくマッチします。どちらもシンプル&ストレート、物理的な情報量は少なくても、最も大切な本質を伝える力を持っています。

そして何より真空管アンプもフルレンジスピーカーも、どちらも競争原理の支配する商業主義から脱したところに位置するのが魅力です。通常の大手メーカーの製品は、『高価で最新の製品がよりいいものである』という図式の上にあり、そこから離れることができません。

何を買ってもその上級グレードの商品の存在が気になり、また雑誌を開くたび、自分の持つ製品の後継機種が出てはいないかと戦々恐々としなければなりません。この終わることのない不全感を消費者に持たすことが商業主義発展の原動力であり、趣味の世界が持つ怖さの一面でもあります。

ひとつのものを追い求めると徹底して突き進んでしまう私にとって、競争原理から離れたところにある真空管アンプ、自作フルレンジスピーカーというのは、心の安らかさを感じさせてくれる大いなる救いでした。


音楽を感じる音

少しずつチューニングを重ねたそのシステムから出てくる音は本当に素晴らしいものでした。軽量なコーン紙の小口径ユニット、極小バッフルのスワンから出てくる音は音離れがよく、ピンポイントで音像が決まり、真空管アンプの芳醇な音色は、女性ボーカルにも豊かな艶と潤いを感じさせてくれます。

「この音だったらお金を取って聴かせてもいいぐらいだね」友人とそんな冗談を交わすほどでした。けれどその頃私にとっての人生最初のバブルがはじけ、やむなくそれらのシステムすべてを手放してしまうことになりました。もう二十年も前のことです。


オーディオ熱再び

それから十年近く経ち、たまたま書店で目にした「AV Villege」という雑誌を読むようになってから、再び自分の中でオーディオに対する情熱が湧き上がってくるようになりました。少しずつ機器を買いそろえ、雑誌に紹介されているアクセサリーも数多く試しました。

オーディオの世界も、アンプやスピーカーといった主要機器中心の時代から、それらを活かすためのアクセサリーやセッティングといったものにより力点が置かれるようになり、確実な時代の変化を感じます。

その頃、いつも雑誌の広告で目にしていたカイザーサウンドを初めて訪れました。カイザーサウンドの当時の拠点であった広島は私の地元です。土木の仕事をしていて、夕方汚い作業着を着たままダンプに乗って店を訪ねたのですが、そんな私にも貝崎さんは熱のこもったオーディオ談義をしてくださったのが印象に残っています。


方向性を知る

カイザーサウンドで最初に買ったのは、一番安いインシュレータであるPB-BABYです。それを当時使っていたBOSEのスピーカーの下に敷くと、音は明らかに凛々しいものへと変化しました。けれどインシュレーターやその方向性による音の変化は、なかなか言葉で説明しても分かるものではありません。

その頃使っていたアンプは、本体と電源部が別筐体になっているプリメインで、そのアンプの下、CDプレーヤー、スピーカー、 それぞれ三個ずつインシュレーターを敷いて音楽を聴いていたのですが、ある時スイッチを入れると突然心地よくない音が出るようになりました。

いろいろと原因を調べてみると、アンプの電源部の下にあるインシュレーターが一個だけ大きく方向性がずれていることが分かり、すぐにインシュレーターの向きを正すと、音はたちどころに元の状態に戻りました。

たった一個のインシュレーター、しかもアンプの電源部の下に敷いたものがこんなに音楽再生に大きな影響を与えるとは・・・、これは体験した者にしか理解でない事実です。

鉛インゴットに方向性かあることを教えてくれたのも貝崎さんです。鉛インゴットには上部にネームの入った刻印があり、これが通常上向きになるように使用するのですが、この刻印はインゴットを生成する型の下方に出っ張りとしてあるもので、そこに溶けた鉛を流し込んでインゴットを作ります。

ですからインゴットはネームが下にくるようにするのが本来の正しい方向性であり、確かに機器の上に鉛インゴットを置く場合、ネームを下にした方が音は伸びやかでいい結果が得られます。

雑誌の記事に、キッチン用品として売られている遠赤布を貼ったアルミシートをCDプレーヤーの周りに貼ると、電磁波漏れを防止し音がよくなると書かれていました。早速ホームセンターでそのシートを買い求め試したのですが、CDプレーヤーの前面や側面に貼ると付帯音が減り、音はクリアーになっていきます。

これは面白いということで、そのシートを後面、底面、上面にも貼り付けていくと、後面、底面と少しずつよくなっていった音が、最後に上面全体に貼り付けたところ、途端に音が詰まったようになってしまいました。上面はエネルギーが抜ける方向だったのだと思われます。

いろんな経験から音、エネルギーの方向性を知り、ローゼンクランツの唱える『音の方向性は後から前、下から上、中央から左右へ』というのが正しいものであることが実感できました。


多様な音のスタイル

一度知ったフルレンジスピーカーの魅力からはなかなか離れることができません。当時出たばかりであった直立の円筒型スピーカーYoshii9を広島で開発者の吉井氏の解説とともに聴く機会があり、その素直で柔らかい音色に惚れて購入することにしました。

Yoshii9は製品としてはまったく未完成のもので、よく言えば発展性のあるスピーカーです。ユニット、ユニット直下の制振棒の振動対策、ユニットとキャップとの隙間の充填、ケーブル、ネジの交換、ほんのちょっとした対策で音は好ましい方向にどんどん変化しました。

スパイク受けとしてのローゼンクランツのインシュレーターも効果抜群です。PB-BABYで音はぐっとグレードアップされ、それを上位機種のPB-JUNIORに変えると音はさらに深みを増しました。三つのインシュレーターを外向きに配置したり渦巻くようにしたり、方向性による音の変化は顕著であり面白いものです。

ユニットが上向きであるYoshii9の方式は個性的でメリット・デメリットがあり、間接音重視のこの方式は音楽をBGMとして聴くには優れていますが、衝撃的な直接音を再生することは苦手です。

スピーカーのコーン紙の振幅と重力のベクトル方向が一致するというのはセッティングの厳密さを要求されない大きなメリットであり、それが多くの場で愛用される要因なのでしょう。

人の価値観が様々であるように、求める音のスタイルもまた多様です。
どんな形がいいということを一概に決めることはできません。

Yoshii9を中心としたこのシステムではいろんなアクセサリーのテストをし、随分と音についての勉強をさせてもらいました。けれどこれも人生二度目のバブル崩壊とともに手元から去っていきました。


陰の音と陽の音

私は元々物理が専門なのですが、これまでの物理学的常識でステレオの音を捉えていくと、どうしても納得できない点が多々でてきます。録音スタジオで録音された音楽がリスナーの耳に届くまで、音は電気、機械、空気、アナログ、デジタル、様々な信号となって長い行程を旅してきます。

その間最初にあった情報量をいかに減衰させずに最後まで送り届けるか、その減衰量の少ないものがハイファイ(高忠実度)であり、これがいい音、音楽を再生させるための最大の要件であるというのが真っ当な物理学的常識です。

けれども実際に人間の耳で感じる音は、この法則に完全に則っているわけではありません。物理特性のきわめて悪いSPレコードの音が、人の心を震わせるような感動をもたらすことがあります。

スピーカーターミナルとケーブルとの間に挿入する余分な介在物であるスピーカーアタッチメントで音がいい方向に変わるなど、常識では考えられません。そしてそれを締め付ける結束バンドの色や種類によっても音はコロコロと変化するのです。

10年前、カイザーサウンドでそんな実験をしました。これがそのレポートです。

色と音との相関性実験に参加して 2002/01/09

減衰量が少ないのが善であるという考え方でいけば、ケーブルはできるだけ短くするのが当然ですが、カイザースケールという独自の波動理論を持つローゼンクランツの製品は、この考え方に反しています。また先の方向性による音の違いなども、現在の物理学では説明のしようがありません。

私は東洋思想を学んでいて、その基本のひとつが陰陽論です。すべてのものは陰と陽で成り立ち、音の世界も物理的尺度で計測できる無機的な陽の世界と、数字では表すことのできない有機的な陰の世界があるのではないかと考えています。

音エネルギーの伝わってくる流れは、人の人生になぞらえて考えることができます。物理特性重視のハイファイな音とは、順風満帆なエリート人生であるとも言えます。

それに対し平凡な生き方をしている人でも、ある時なにかの刺激や障害を受け、それまで眠っていた能力に目覚めることがあるように、音の経路の途中にあるものによって、潜在的な音エネルギーが賦活してくることがあります。

陽のいい音を求めるには高純度、短略化、効率化、負の要素を排除する、そういったことが鍵となりますが、有機的な陰の音の世界では、全体や周りとの調和、関係性、バランスといったことが大切なものとなってきます。

物理計測可能な無機的で陽な音(空気、電気、機械すべての波動)は、これまで様々な形で研究が積み重ねられてきていますが、体で感じる有機的で陰な音の法則は、多くの人がうすうすその存在を感じ、勘の鋭い人は無意識でそれを利用してきたものの、法則として体系的にまとめようとする人はほとんどいませんでした。

ローゼンクランツというブランドで貝崎さんが積み上げてきた音のノウハウは、この陰であり有機的な音の理論体系なのだと思います。


決意

本格的なオーディオシステムが手元から去ってしまってからは、ラジカセやミニコンポでずっと音楽を楽しんできたのですが、その間もローゼンクランツのホームページは興味を持って読み続けています。

私にとってオーディオは音を通して真理を探究する重要なひとつの手段であり、貝崎さんが切り拓かれる音の世界の新境地から、その裏に潜むすべての世界に通じる法則性を感じ取ることはなによりの喜びです。

これはいい音を聴きたいというオーディオ的欲求とはまた別のものです。

清貧に甘んじながらものんびりと楽天的な私の性格は、貝崎さんの持つ動物的逞しさとは対極にあり、そんな私を歯がゆく思ってか、貝崎さんはいつも私を叱咤激励してくださいます。

ローゼンクランツの製品は最近とみに進境著しく、貝崎さんから新しく見つけ出した音のノウハウを聞かせていただくたびに、私も胸を高まらせていました。そんな流れの中で、私にローゼンクランツのケーブルやアクセサリーの試聴レポートを書いてみないかという話をご提案いただきました。

そのためには我家に再びきちんとしたステレオを置かなければなりません。本来ならば一瞬でも躊躇してしまうべきことなのですが、なぜかその貝崎さんの提案にタイミングとご縁を感じ、間髪入れずに「是非やらしてください」という言葉が口をついて出てしまいました。

やはりいい音を我身で体感してみたい、今の現状を打破したいという気持ちがあるのです。


ステレオの設置

我家に置くステレオとして、ローゼンクランツの新しいスピーカーRK-AL12/Gen2を長期ローンで購入することにしました。アンプは貝崎さんのご厚意で、安いけれどもいい音がするという真空管アンプをいただきました。手元にCDプレーヤーはないのですが、当面はパソコンから出ているUSB出力をそのアンプが受けられるということなので、それでいくことにします。

12月3日(土)、貝崎さんが広島に戻られたのを機にステレオを設置していただきました。その模様は貝崎さんが書かれたページの通りです。

美しく黒光りしたRK-AL12/Gen2は、オンボロの部屋の中で異彩を放っています。貝崎さんの入念なセッティングにより透明で迫力のある音が出るようになりましたが、部屋とは不釣り合いに立派なステレオから音を聴くということに正直言って違和感を覚えます。

それとパソコンとステレオをつなぐということで様々な問題が発生することが分かりました。たぶんパソコン側の問題だと思うのですが、時折音が途切れてしまいます。またステレオを聴く時にはパソコンを立ち上げておかなければならず、デスクトップパソコン本体から発生するファンノイズがとても耳障りです。

テレビを持たない私は、家で起きている時間のほとんどをパソコンと向き合っているのですが、CDを鳴らしているとパソコンに余分な負荷がかかり、マウスのクリック音もスピーカーから再生されてしまうことも気になります。

ステレオと接続することでデバイスの認識が変わったのか、ステレオの接続を外した後、これまで使っていた外部スピーカーがなかなか認識されないことも困りました。またUSBをつないだままだとパソコンが起動しなくなり、起動時にはいったんすべてのUSB接続を抜かなければならなくなりました。

こんな思わぬ問題が発生してすごく気が重くなり、二日間ステレオの音を聴いた後は、アンプのスイッチを入れることなく一週間ほど暗澹たる思いで過しました。あんなに好きだったステレオが家にあるのに、外から家に戻る足取りがとても重く感じられます。


CDプレーヤー購入

こんな状態をいつまでも続けているわけにはいきません。現状を打破するためにも新しいCDプレーヤーを購入することにしました。CDプレーヤーを探しに近所の店を回ったところ、最近オープンしたドンキホーテに、CDだけではなくDVDを含めた様々なディスクに対応する多用途プレーヤーが、なんと2,980円であるのを発見しました。しかもリモコンにピンケーブルまで付いています。早速このプレーヤーを購入し、家のステレオにつなぎました。

そこから出てくる音は、とても2,980円の多用途プレーヤーからのものとは思えません。パソコンとUSB接続した音よりも、安定感、透明感といった面がさらに向上しました。

いい音が鳴るようになると気持ちも明るくなり行動意欲も湧いてきます。パソコンのファンノイズは、本体に四つあるファンの内、最も重要ではない(?)ケースファンが圧倒的に大きなノイズを発生していることが分かり、今は冬期ですので、そのファンを取り外してしまいました。それでもパソコンは順調に動き、パソコンを起動させたままでもそのノイズに悩まされることがなくなりました。


生の音楽

オーディオ環境が整い、心から音楽を楽しめるようになりました。
すると部屋に堂々と鎮座しているステレオも急に愛おしく思えるようになるのが不思議です。

黒光りしたRK-AL12/Gen2から流れてくる音には実在感があり、人の声や楽器の音がまるで生でそこで鳴っているかのような錯覚に陥ります。実在感というのはちょっと語感が堅いですね、本物に似せたものを懸命に造り上げたという印象があります。けれどこのスピーカーの音にはそんな堅さは一切ありません。スピーカーの周りの空気の中、元の音楽の姿がただそこに "ある" というだけ、それだけです。

こんな生の風合いに近い音を、これまで他のステレオから聴いたことがありません。先に真空管アンプを初めて聴いた時、生の音楽の感動の何分の一かが伝わってくると書きましたが、今目の前から流れてくる音は、そんな何分の一などという頭の中の計算はまったく吹っ飛んでしまうようなみずみずしさです。

初めてクラッシックコンサートに足を運び生のオーケストラの音を耳にした時、電気機器ではない、生の木や金属から発せられる、まるで水に濡れたかのようなみずみずしく潤いのある音に心動かされました。このスピーカーから出る音は、その生の音のみすみずしさをそのまま持っています。

これはたぶん物量や力でもって作り出せるものではないでしょう。音という自然現象の理合いに則し、その自然のエネルギーをあるがままの姿で表に出すための「陰の音のテクノロジー」の成果だと思われます。例えるならば、プロレスや空手のように力技で相手を叩きのめすのではなく、合気道で相手の力を利用して遠くまで投げ飛ばす、それと同じことだと思います。

私は特に女性の歌声が好きなので、ヘイリー・ウエスターナ、キャサリーン・バトル、リンダロン・シュタット、カーペンターズ、懐かしい園まり、こういったCDを毎日繰返しこのステレオで聴いています。

その艶のある有機的な声の響きは通常のスピーカーの音とは一線を画すものですが、その魅力的な響きの中に意図的に作ったものは感じられません。あくまでも透明で自然です。それは化粧を重ねた大人の女性の美しさではなく、十代の乙女が持つ輝く素肌の美しさです。

音色の美しさもさることながら、その音が無音部からスーッと立ち上がり、また無音部へと消えていくその所作がとても美しいのです。音が有機的ですので、あえて所作と表現したくなります。

これは物理的には音の直線性(リニアリティー)がいいとか微少入力に対する反応がいいというように表現されるのでしょうが、これもローゼンクランツの音のノウハウを駆使し、吸音材なしでエンクロージャー内部の音の響きを処理し、活かしている成果でしょう。

この音が立ち上がり、消えていく様があまりにも美しいので、音楽を聴いていても、音の流れといったところについ意識が集中してしまいます。この音の流れが音楽のテンポでありリズムであり、貝崎さんが音楽を構成する要素でリズムが最も大切であると言われることが少し分かる気がします。

RK-AL12/Gen2を導入するに当たり、ひとつ気になる点がありました。以前使っていたスワンもYoshii9も、どちらも極小ユニット、バッフルで、これはある意味スピーカーのひとつの理想の姿です。

Yoshii9はユニット上向きの特殊形状でしたが、スワン独自のピンポイントな定位とステレオ感がどうしても忘れられず、RK-AL12/Gen2は私の好きなフルレンジスピーカーであるとはいえ、通常の大きさのエンクロージャーを持つその形には少し抵抗感がありました。

けれども目を閉じて音を聴いていると、エンクロージャーの大きさをまったく意識しません。エンクロージャーもスタンドも、その全体が呼吸するように音を発する設計にしたと貝崎さんは言われますが、これもローゼンクランツのノウハウのひとつであるカイザースケールの妙なのでしょう。

そのエンクロージャーから発せられる音の波長が周りの空気と溶け込んで、エンクロージャーと周りの空気との境界線が判別できないぐらいひとつになっています。まるでスピーカー周辺の空気全体で音楽を奏でているようで、そこには音像が大きい小さいなどといった思いは浮かんできません。

私がステレオを聴く位置は、右スピーカーから1メートル強、左スピーカーから約2メートルの距離で、左右スピーカの中心線上ではない理想とはかけ離れた状態なのですが、それでもステレオ感に違和感を覚えることはありません。


未知なる可能性

素晴らしい音を奏でるRK-AL12/Gen2ではありますが、私がこれまで聴いていたステレオの音をすべての面で凌駕しているわけではありません。音そのものは限りなく自然な風合いですが、周波数レンジや情報量といった面では以前のシステムの方が幾分勝っています。

キース・ジャレットのピアノを聴くと低音の量感が足らない分、その美しい響きと相まって少しエレキピアノのような雰囲気を感じさせます。けれども出てくる音そのものは、きわめて生のアコースティックピアノに近い音色です。

また低音の周波数レンジが制限されているにも関わらず、左手の和音など見事なほどひとつひとつ音が分離します。音の分解能というものは、必ずしも情報量に一致しないということを知りました。

これは強いて意識して音を分析するからそう感じるのであって、ただ音楽を聴いている限りでは、まったくそんな不満は感じません。音はその音色と流れというものが最も大切であり、周波数レンジや情報量は、それを支えるための手段のひとつに過ぎないのですから。

またこれはRK-AL12/Gen2の持つ能力や限界ではないはずです。今のステレオはまだ設置したばかりで、アンプとCDプレーヤーの実売価格はこれまで使っていたシステムの十分の一にも満たないものです。それでこれだけの音が出るというのはまさに驚異としか言いようがありません。

現在のスピーカーケーブルはアクロテックの3メートルほどの長いもの、ピンケーブルは付属品のどこにでもあるシンプルなタイプです。今のこのシステムは、たぶんスピーカーの持てる力の一割も発揮していないでしょう。これからケーブル等周辺機器を変えていったならどんな音がするようになるのか、まったく想像もつかない未知なる可能性に心躍らせています。


上善如水

CDプレーヤーを買ってから、毎日何時間も心地よい音楽に耳を傾けています。その買った最初の日、幸せな気分で湯舟に浸かりながらステレオのことを考えていると、ひとつの言葉が頭に浮かびました。

それは有名な老子の言葉、『上善如水』(上善水の如し)です。本当にいい生き方は、ごく自然な、まるで水のようなものだということです。

これはこのスピーカーを形容するのに最もふさわしい言葉だと思います。ただ自然のままに、音の持つ力に逆らわず、音の理合いに合わせてその力を100%引き出す。そこにはもうスピーカの存在そのものがなくなってしまったかのように感じられます。


N.S(ヨガナンダ)

ブルース・リー〜「水のようになれ!」

← Back     Next →