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その3 「たこ焼き器」


 一気に図面を書き上げました。書いたといっても私が書くのではなく、書くのはK氏です。いつものように、私は横で「あーしろ」、「こーしろ」と言うだけです。このところ忙しいので、無理やり強引に割り込ませないと実現しそうもなかったので、逃げ道のない状態に自分を追い込みました。いや、K氏を追い込んだのかもしれません。

 どっちにしても、出来上がった図面はまるで「たこ焼き器」です。それにしても、寺島さんのかたくなまでの、「シンバルの音にこだわる執念」がこうさせたわけですから、やはり半端な人ではありません。人は彼のことを耳が悪いとか、こき下ろす人もいますが、「どっこい!」、じゃあ、ここまで「JAZZ馬鹿に徹する」ことが出来る人が果たして何人いるでしょう。

急遽書き上げた図面 PB-BIG JAZZになるか・・・!

 つい最近、「音のカラクリ」というのを完成させてから、結局のところ、私自身も寺島さんに対する評価が変わりました。それまでは寺島さんの言うとおりにすれば、「ある音はいい」けど「ある音はからっきし駄目」というバランスになってしまう。そのエピソードは、知る人ぞ知る壮絶なバトルとなって「ジャズ桃源郷」の中に書かれたのはまだ記憶に新しいところです。

 また、書かれた内容に「カイザーさんは腹を立てなかったか?」と、言うのがもっぱら周囲の気になるところだったようです。「腹を立てるどころか、いい訳一つしないで、笑っていたよ!」と言うことで、「太っ腹だなあ!」と、「一気にカイザーさんは男を上げたんだよ!」・・・とは、寺島さんの弁。

 それは、手伝いに長男を連れて私が初めて寺島邸に訪問した時のことです、私がほとんど徹夜して作りあげた音(勿論彼の意向を汲みながら、また一つ一つ確認を取りながら)を、私が帰った後に、彼は根こそぎ変わってしまった自分の音=(その時の音を、彼は「低域をスパッと削ぎ落としてしまった音」と表現していました)が、不安になり世が明けるまで待てないで崩してしまったのです。

 翌日気になって電話を入れると「グジャ、グジャになってしまった」。ホテル代を出すからもう1回寄ってくれということにまでなりました。私が手を入れる前の音(箱の定在波が抜け切らない金縛り状態の淀み)は、ベースとバスドラの区別がつかないほどでした。確かその時かけたディスクは、ウイントン・マルサリスのスタンダードシリーズのVol.3だったと記憶しています。このシリーズは私も5枚全部持っていますので、私なりのバランスは持っていました。そして、寺島さんと膝をつき合わせてじっくり話し込みをさせていただいた結果、音の好みとして合う部分と合わない部分の割合は如何でしょう?と尋ねると。その答えは3:7で、合わない方が多かったのです。

 それから1ヶ月ぐらいして大分落ち着いてきて安心したと言うことになったのですが、振動が落ち着くまで、すなわち低域が出るようになるまでに、こんなに時間がかかるということが体験していないから分からなかったと言うことでした。

 寺島さん独特のJAZZに対する音のこだわりは、誰がなんと言おうと譲らないできた、「頑固一徹」。そのことに私もある種の感銘を受けたのです。ひょっとしたら、目指す音こそ違えど「思いの強さでは勝てないかもしれない?」と、私の価値観とは違っても、一人のJAZZ気違いを満足させる「音の勉強をさせてもらうことが出来るんだ!」という、謙虚でゆとりを感じる心境になれたのです。これも今思うに、「音のカラクリ」をまとめ上げたことによって、確固たる自信が生まれてきたのだろうと思います。

 どれだけの執念を燃やしても届かない、また手に出来ないでいる姿を横目で見ていると、「ヨ−シ!」私がその音を出してみようじゃないのと言う気になったのです。かくして、「寺島靖国スペシャル」となったわけです。成功した暁には正式名称は「PB-BIG JAZZ」になる予定です。果たして、日の目を見ることになるのか?はたまた、幻に終わるのか?この先が楽しみです。


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