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「お伊勢参り」


 広島に帰る途中、静岡の浜名湖を過ぎ三ケ日あたりに差し掛かった時でしょうか、朝日が爽やかで、空気も澄んでいて、それはそれは気持ちの良い朝を迎えました。すると急に息子が『伊勢神社へ行こう!』と言い出したのです。

 「それはいい、そうしよう、そうしよう」。ということで急きょ予定変更です。

 愛知県との県境に差し掛かったところあたりから、目に入る空気や木々の景色が違うことに気づきます。みかんの木を中心に何かと優しい感じだったものから、なにか活力が萎えたというか、瑞々しさに欠けるのです。

 そして、豊橋、岡崎、豊田、だんだんとスモッグ交じりの視界の悪い大気に変わってきました。これは東名阪に入って四日市もかなり過ぎないと、この空気に変化は感じませんでした。ところが、今度は爽やかで、軽い感じの空気に変わってきたのです。先ほど通った三ケ日あたりで感じたものとはまた違う種類のものです。

 
 次の瞬間、私の目に飛び込んで来た標識にビックリ仰天!・・・・・。

 なんと!、『勢和多気』と書かれてあるではないですか!。

 すぐに、その「多気」という名のパーキングエリアがあったので車を止めて休憩しました。車から降りると、体がすごく軽く感じるんです。走り回ってはしゃぐ子供のように軽やかなんです。不思議ですねェ・・・、この感覚・・・。

 それから、伊勢に向かって車を走らせるのですが、またまた不思議な感覚を感じるのです。それは山あいを縫うように道路があるのですが、まるで伊勢に自動ナビで導いてくれるように滑らかにスムーズに私達を運んでくれるのです。

 見通しは良いし、この道路なら事故など起ころうはずがないと直感しました。まるで神様に守られているような感じなのです。2年ほど前にも伊勢に参りましたが、その時は道中では今回感じたような体験はしていません。ならば私の身体と五感が過敏になったとしか思えないのです。

 しかし、伊勢神宮そのものは別格ですので、前回でも人間が手を加えていない自然の凄さが生み出す神々しさは、五十鈴川に掛かる木の橋を渡り境内に足を踏み入れた瞬間から感じたものです。

 
 それと、今回のもう一つの大きな感覚面に於ける変化は水の味にあります。手を清める為の水が何ヶ所かあるのですが、その水の手触りや味が一つ一つが微妙に違うのです。


 磨きに磨かれたようなつるんつるんとした水であったり、

 人の心すべてを映し出してしまうような鏡のようでもあったり、

 あらゆる病気をも直してくれそうな感じの水であったり、

 多様に感じるのでした。


 その五十鈴川で泳ぐ錦鯉の健康そうなこと、

 如何に水が大切かを、私達人間に魚達が覚らせようと語りかけているようにも見えます。

 本当に自然の恵みを受けて生きている様子が分るのです。

 
 また、違った意味で驚かされたのは、内宮と外宮の参拝客の数の違いです。50対1から100対1ぐらいで賑わいが違うのです。仲見世がある内宮の方が圧倒的に人気が高いのです。これには商売人として考えさせられるものがありました。

 同じように神様が祭られてあってもこうまで差があるものかと。ほとんどの人は外宮までは参らないそうです。なにわともあれ、本当に収穫の多いお伊勢参りでした。


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