トップ情報日本国民は日本という国をどんな国にしたいのか?>改革派官僚(古賀茂明)をなぜ辞めさせるのか

改革派官僚(古賀茂明)をなぜ辞めさせるのか

人事を官僚に丸投げする枝野大臣に「古賀問題」をクラブ記者に代わって直撃 結局、政治主導などやる気なし/長谷川 幸洋

現代ビジネス 9月23日(金)7時5分配信

経済産業省の改革派官僚として知られた古賀茂明大臣官房付(審議官級)が、いよいよ退職に追い込まれようとしている。

本コラムの読者にあらためて紹介する必要もないと思うが、古賀は2009年12月に官房付きという閑職に飛ばされて以来、仕事がなく1年9カ月にわたって「干された」状態だった。7月末に古賀に会った海江田万里元経済産業相は「また会おう」と言ったが結局、再び顔を合わせることはなく、海江田が先に辞任してしまった。

海江田の後任は鉢呂吉雄前経産相である。古賀は鉢呂に自分を使う気があるのかどうか、メールで問い合わせた。すると、鉢呂本人ではなく官房長から「大臣は使う気がない」という返事があったので、いったん辞表を出した。

ところが、鉢呂は正式に古賀の辞職を承認する前に、自分自身が"問題発言"の責任をとった形で、在任わずか9日で辞めてしまった。その後任が枝野幸男経産相である。


古賀がいったん辞意を撤回した理由 

古賀は枝野に対して、再び「自分を使う意思があるのかどうか、事務方を通さず、私に直接連絡してほしい。使う気がないなら、辞めるしかないと思っている」という趣旨のメールを出した。

古賀はまた官房長から「大臣は辞めてもらって結構だ、と言っている」と聞かされ、いったん辞職の意思を固める。ところがその直後、枝野が会見で「(古賀の扱いは)事務方に任せている」と発言したというニュースが報じられた。これを聞いて古賀は辞意を撤回する。大臣の意向がいまひとつ、はっきりしなかったからだ。

大臣が「辞めてもらって結構だ」と言っているのと「事務方に任せている」のとでは、古賀にとって天と地ほどの違いがある。それは、こういう事情だ。

古賀はかねて政権が本当に政治主導を貫くのであれば、幹部級公務員の人事は事務方に任せず、政治家である大臣自身が判断すべきだ、と訴えてきた。この点は公務員制度改革の肝にあたる。なぜなら、官僚が幹部官僚の人事を差配してしまえば、官僚組織は絶対に揺るがず、それどころか、組織の自己増殖が止まらないからだ。

公務員制度と官僚組織を改革するには、国民に選ばれた政治家である大臣が官僚の人事権を完全に行使して、官僚に与えた任務を遂行させなければならない。幹部官僚が大臣の指示に従わなければ、降格あるいは解任する場合もあったほうがいい。

だから枝野であれ、だれであれ、古賀は大臣が「辞めろ」と言うなら最初から辞めるつもりだった。ところが「事務方に任せている」のであれば、古賀を辞めさせるのは大臣ではなく事務方になってしまう。

それで辞めてしまえば、事務方が幹部級人事を差配するのを容認したのも同然である。それは古賀にとって受け入れられない話だった。それで古賀はいったん固めた辞意を撤回し、その旨をツイッターでも公に発信していた。


古賀問題の直撃にメモを読み上げる枝野大臣

古賀は枝野の返事を待った。だが返事はなく、またまた宙ぶらりんの状態になってしまった。

以上の経緯を踏まえ、私は枝野の意思を確認したいと考えて20日午前、経産省で開かれた定例の大臣会見に出席して質問した。私は普段、役所の記者クラブで開かれる会見に出席することはない。だが、ここは枝野と野田政権の姿勢を確認するうえでも大事な局面と思ったのだ。

経産省10階にある記者クラブの会見室に足を踏み入れるのは、およそ20年ぶりだった。当時とほとんど変わっていないが、クラブ詰め記者以外にフリーの記者が何人も出席している点が印象的だ。以下が、古賀問題をめぐる枝野との一問一答である。

長谷川:古賀さんの人事について大臣ご自身の考えを聞きたい。官房長は「大臣は辞めてもらって結構という考え」と古賀さんに伝えているようだが、それは本当か。

枝野:一般的に次官や局長の人事は別として、本来は個別にコメントすべき性質のものではないと思っている。一貫してそう申し上げているが、さまざまに報道されているので念のため申し上げると(手元のメモに目を落としながら)古賀氏については、海江田大臣、鉢呂大臣によって積み重ねられた判断と手続きが進められてきている。私としてはこれまでの判断を引き継ぎ、これを「了」とし、のちの手続きについては事務方に任せることした。

長谷川:その話を古賀さんご自身に伝えるつもりはあるか。

枝野:ありません。事務方において適切に対応していただけると思っている。

自分の判断にはまったく迷いがないというように、枝野は断固たる口調だった。よく考えた末の結論だったのだろう。用意のメモに目を落とした点がそれを物語っている。

しかし、私には疑問が残った。

古賀は審議官級であり、現職の官房長は古賀の同期である。ということは、古賀は次は局長になってもおかしくない年次にあたる。年功序列を守ったとして、もしも枝野が「次官や局長級」人事を自分が考えるというなら、理屈のうえでは古賀も局長候補者の1人として大臣の考慮対象に入るのではないか。

さらに能力実績を考えて抜擢人事もありうるとするなら、審議官級どころか課長級人事も大臣が実質的に差配してもおかしくない。

枝野が「次官や局長級は自分が考える」姿勢を示しながら、古賀は事務方に任せるというなら、古賀を登用する気はないという話になるだけでなく事実上、局長候補者も事務方に任せるという話にならないか。

つまり、次官や局長級を考えるなら、実は候補者である審議官級、あるいは抜擢を考慮すれば課長級まで大臣がよく検討しなければならないのではないか。そういう疑問だ。


政治主導の人事などやる気がない

そんなことを考えながら会見の成り行きを観察していると、ほかに挙手している記者もたくさんいて、どうも1人2問までが暗黙の了解でもあるようだった。そこで最後に時間があれば、再質問しようと思って待っていた。すると、別の女性記者が質問した。

女性記者:先ほど大臣は次官や局長は別という話だったが、民主党の国家公務員法改正案では審議官や課長級も含めて、人事は内閣で一元管理ということだったと思う。先ほどのお答えとクラスが違いますが、どうお考えなのか。

この質問は核心を突いていた。枝野の答えはこうだった。

枝野:いまの制度の下で、大臣として直接的な判断と人事権の行使を行うのは基本的に次官、局長、それから官房の大臣周りの仕事していただく部局であろうと思う。それから民主党の案においても、最終的な判断を官邸で一元的に行うことになりますが、その案すべてを政務三役、内閣官房人事局長が全部、個別にみるのかといえば、それは私はそうではないと思っております。

そうした中で、恐縮ですが、職員のさまざまな人事のご要望を大臣が直接承って、大臣としての個別の意見を申し上げる前例を作るのは人事管理上、適切ではない、と思っているので先ほど申し上げた通りのお話をしています。

つまり、現行制度では大臣が人事権を行使するのは次官と局長、大臣官房あたりまでだと言っている。そして民主党の改革案でも、政務三役や内閣官房人事局長がすべて個別にみるわけではない。だから、現行制度の下で古賀のような一職員の話を大臣が聞くのはよくない、と言っていた。

ここは重要な問題点をはらんでいる。

とりわけ、民主党案による改革後であっても、政務三役や内閣官房人事局長が個別案件をすべてみるわけではないとした点は見逃せない。そうだとすると結局、官僚案丸飲みの幹部人事になってしまう可能性が残ってしまうのではないか。それで政治主導になるのかどうか。

その点を別として、記者が尋ねた「審議官や課長級を含めて内閣で一元管理」はどうなるのか、枝野は真正面から答えるのを避けていた。「政務三役や内閣官房人事局長が全部みるわけではない」のだから「審議官や課長級など眼中にない」と受け取れなくはなかったが。


古賀の会見すら開かなかった記者クラブ

いずれにせよ、これで枝野が古賀を起用する意思はなく、また民主党の改革案を先取りした形で人事を断行するつもりもないことが明白になった。ようするに、これまで同様である。

せいぜい次官や局長級人事を考える程度なのだが、それは海江田が退任直前に行った幹部人事でその中身が明らかになっている。つまり、完全に役所主導の玉突き人事である。政治主導の見る影もない。枝野はそれを見直す気もなかった。

古賀はこの枝野発言を聞いて、辞職の意思を固めるだろう。

もう1点、記者クラブの問題にも触れておきたい。

古賀の主張と存在はベストセラーになった『日本中枢の崩壊』(講談社刊)で一躍、世間に知られるようになったが、古賀によれば、記者クラブとして「話を聞いてみよう」と古賀に声をかけたことは1度もない、という。

古賀が7月末に海江田と直接対決したときも、多くの記者が大臣室前に詰めかけたが、古賀の会見は記者クラブの会見室ではなく、1階ロビーの片隅で即席に開かれた。会見室は使われなかった。

古賀問題に関心をもつ記者はたくさんいたはずだが、なぜ古賀をクラブの会見に呼ぼうとしないのか。対照的に外国プレスが集まる日本外国特派員協会は6月、古賀を講演に招き、会見も開いてきた。これまで多くの外国プレスが古賀をインタビューし、記事を掲載している。

クラブに常駐していないテレビ朝日のディレクターが古賀問題について質問した際「他にまともな質問はないのか」とヤジを飛ばしたクラブ記者までいたという。こういうありさまだから、記者クラブは役所との癒着を疑われるのだ。

← Back     Next →